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人間社会の本質を突く?、マンガのキャラクターのセリフ


1、X(ツイッター)でよく取り上げられるマンガ

マンガの登場人物、特に主人公は基本作者の代理だから、そのセリフには、そのマンガ家の好みが濃厚にでてる。好きなもの嫌いなもの、個人として正しいと思うこと等。
それとは別に、主人公の近くにいて、あるときは敵対する、あるいは導いたりする大人のキャラクターがよく出てくる。
主人公が、作者の若者(こども)としての価値観、純粋な正義感、趣味趣向の部分を代表しているのに対し、かれらは現実的な大人としてのものの見方考えかたを代表している。なのでしばしば、主人公(と読者)に対し、大人社会の論理によって、厳しい現実を突きつけるセリフを言う。
そのことによって、主人公を苦しめ、それを乗り越えることで成長させ、物語を大きくもりあげる。
ところが、そのマンガが「名作」で、さらに登場人物に魅力があると「コイツの言うことはまったくその通りだ」と思うことがしばしばある。
大人キャラクターのいう厳しいセリフが、マンガ世界のなかだけの正しさに留まらず、現実社会に通用する「名言」人間社会の「本質を突いた言葉」として、多くのひとに受け取られていく場合がある

X(ツイッター)を以前から見ていると、そのなかでも定期的によく取り上げられるマンガ、なかでも特定のセリフ(コマ)がある。
自分がとくに目が付くのは、この三つの作品から引用されるセリフ

1、『湾岸ミッドナイト』

『湾岸ミッドナイト』

2、『ラーメン発見伝』

『ラーメン発見伝』

3、『はみだしっ子』

『はみだしっ子』

この三つの言葉が特に目立つような気がするのは、自分がそれらの作品が好きだからだろうな。

親戚との付き合い、学校や職場での人間関係、商店やレストランでの店員と客のいざこざ等々。
そういう、主にトラブったツィートが話題になるとき、社会における人間関係の教訓として、上のマンガのコマがよく引用される。
「人間は平等」とか「客のクレームは宝の山」とかの、タテマエの正論、キレイごとではない、むき出しの本音、人間論が、それらの作品には描かれているように捉えらえている。

2、それぞれの作品の違い

それらのマンガは、読んでいて納得させられる物語の展開をするし、キャラクターのセリフに社会の本質?は大袈裟だが、今まで生きてきてきた経験から正しいなと思うことも多い。
それはそうなのだけど、マンガのキャラクターが吐く「社会の本質」の言葉が、みんな同じような「正しさ」のレベルかというとちょっと違う。
特に、上にあげた三つのマンガはそれぞれ、キャラクターの言うセリフの「正しさ」と、それを描く作者との「距離」はかなり違う。
登場人物の言葉が、マンガ家自身の気持ちに近い場合と、かなり離れている作品がある。

楠みちはるのマンガ(『湾岸ミッドナイト』等)のキャラクターが言う「人間社会のルール」は、作者がいままで生きてきたなかで、実際に経験したり考えたことから出来てるのだろうと思える。
だから、そこから来る理屈は単に正しいだけでなく、一種の「人生訓」となってる。

『首都高SPL』

楠みちはる自身が、それらの言葉を基本「心から信じている」のだろうと感じられる。

『ラーメン発見伝』で「社会論」を言うのは、主人公藤本のライバルの「ラーメンハゲ」こと芹沢。
これはラーメン屋に憧れる主人公に、「よのなかそんなに甘くない」と現実を突き付けるもの。
しかしそういう芹沢自身が、自分の語るもっともらしい「現実論」に100%は納得していない。

『ラーメン発見伝』

その納得できない気持ちが、主人公藤本と”ラーメンバトル”をする理由になっている。

『はみだしっ子』に限らないが、三原順マンガの登場人物はみな、やたらメンドクサイ理屈をいう。
言っている言葉の中身自体は、それぞれのキャラクターが「正しい」と思っていること。
けれども同時に、かれら全員が心のなかで「自分が本当に伝えたいことはこれじゃ無いんだ」と思っている

『Die Energie 5.2☆11.8』

三原順マンガの、やたらメンドクサイんだけど「ハマると癖になる」魅力はそこにある。

マンガのキャラクターが発する「社会論」は、その作品のなかで「正しいこと」として描かれてる。
けれども、その「正しさ」は作品作家のタイプによってそれぞれ違っている。
登場人物のいう「正論」と作者の「思い(狙い)」の距離を、それらのマンガを読み返しながら考えてみよう。
                              続く

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