くらあい天で、くらあい道で
こんにちは、浅葱です。
高校の部活で合唱をやっていました。
高校生や大学生、大人が歌う日本語合唱曲には万葉集の歌人や江戸時代の文筆家、近現代の詩人などが残した言葉に音楽をつけたものが多く、曲そのものの旋律やハーモニーもさることながら、詩人自身によって磨き抜かれ、時代の選別に耐えて生き残った素敵な言葉に囲まれて過ごせた3年間は幸せだったなとしみじみ思います。もちろん、外国語の曲でも。
どういうわけか、十代半ば以上で、一定以上の技術と経験を積んだ人々が注意深く作る合唱にはある種、奇妙な力が備わると思っています。どんなに楽しい曲を歌っているときでも、どこかに暗さ、寂しさの記憶がある。どんなにもの悲しい曲を歌っていても、少しだけ明るく暖かいところへ連れて行ってくれる。
「寄り添う」という言い方がぴったりきます。山小屋の毛布や停電中の懐中電灯みたいに、周りの冷たさや暗さをすっかり吹き払ってはくれないけど、自分を少しだけ暖めて照らしてくれるもの。そういうものを必要とすること自体が暗い冷たさの中にいる証明なのに、寄り添ってくれるものがあるだけでどこか救われてしまう。
太陽のように直視できないほどのまぶしさ、暑さをうっとうしく感じてしまうとき、月のような暗さの中の明るさ、仄暖かさの方が懐かしく思います。
そんな魅力を持った曲を一つ紹介させて下さい。
草野心平作詞、千原英喜作曲「わが叙情詩」
もとの詩および歌詞は長いので全文は載せませんが、戦争が終わったあとの焼け野原を歩いて行く男の言葉として書かれた、
くらあい天(そら)だ底なしの。
くらあい道だはてのない。
(中略)
おれのこころは。
どこいつた。
おれのこころはどこにゐる。
というどうしようもない絶望感が優しく隣に座ってくれていて、どんなに辛くても、立ち上がりたくなくても、まずはそれを受け止めてくれる。
「おれのほうがつらいんだ」とも、「そんなこと言わず元気出せ」とも言わない。暗闇の中でうずくまることしかできなくても、「そうか、そうだな」とそっと耳を傾けてくれる。
そのくせかれがそっと立ち去ったあとには、半分くらい燃えたろうそくが一本残されていて、足元を少しだけ暖かく照らしてくれる。
現状は何も好転していなくても、くらあい道をそのまま歩いて行こうという静かだけれど確かな勇気をくれる。
希望だけ感じては生きていけないからこそ、こんな優しさがしみるのです。