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息することをやめないで

こんにちは。モノクロミアです。
今日は、好きな事をして生きていく事を阻害するものの存在についてです。

『好きなことばっかりしてたら、生きていけないよ』

と言われることがあります。
この言葉の正体は、一体何でしょうか。

結論から言うと、社会規範です。
主に現代日本においての社会規範。

社会規範とは

社会規範とは、多くの社会人にとって、心地よい環境を作るために作られた、マナーのことです。

つまり、スーツを着る、革靴をはく、お化粧をして、ヒゲを剃って、ネクタイして、、、などなど、沢山の社会人ルールが存在します。

本来は、多くの社会人が気持ちよく仕事ができるようにする為に作られたものです。

しかし、だんだんと厳しくなっていく社会規範が、逆に人間を苦しめているのではないか、という考え方があります。

解説していきます


社会不適合者

まず、社会規範から逸脱した人間は「社会不適合者」の烙印を押されます。

あなたは、社会人としての適性を持っていない、だめ人間、はみだしもの、劣等生だ、と、言われてしまいます。

それはそれは、つらいものです。
大人になってからはもちろんですが、学生でも起こり得ることです。

不登校児、社会不適合者は同じです。

子供は知識も少なく、小さなコミュニティで過ごしています。
逃げ道を知らないことも多く、また親からもなかなか認めてもらい難いのが現状ですから、その辛さは相当なものでしょう。


教育システムの問題

社会規範の他に、教育システムにも問題があります。

現在の教育システムは「生き方」を教えてはくれません

教えているのは、
「国にとって都合のいい人間の在り方」であり、
いわゆる「働きアリ」を育てることが目的です。

ですから、

ほんとうの意味で生きていくちからは決して教えてはくれません
(もちろん、教師によりますが)

お金のことは教えてはくれません。

なぜ現代日本の教育システムでは、教えてくれないのか?

理由は簡単、

「本当のことを国民に知ってほしくない」
国民が知ると都合が悪い人たちがいる」

からです。

知られては都合が悪いから、教えないのです。

なるべく関心が行かないように、

「お金の話は、いやらしいからしない」
「好きなことしてたら、生きていけない」

という風潮を、メディアや教育を利用して推し進めてきたのです。

政治に関しても全く同様のことが言えますが、それはまた別の機会に。


話を戻します。

社会不適合者、不登校は悪いことなのか?

決してそんなことはありません。

単純に今の社会に合わないというだけのことです

いや、もっと言うと

今の会社務めや学校教育に合わないというだけで、
ひとつ道を変えるだけで確実に生きやすくなります。

逃げ道というと聞こえは悪いようですが、
要するに属するコミュニティを変えるだけのことです。

例えば会社勤めを辞めて、独立開業する。

例えば学校登校をやめて、別のコミュニティに移る。

私は会社勤めをしながら、副業を始めただけで、
楽しくて、こんな世界があったのか、
生きることはこんなに楽しいものだったのか、と感じました。

新しい道を知ったからです。


好きなことは、やらなきゃならないこと

そして、「好きなことは、やらなきゃならないこと」に気づいてから、
好きなことをして生きていくために現在考えながら行動しています。

毎日が充実しているし、楽しいです。

好きなことをするためだから、一生懸命に考えます。行動に移そうと努力します。

なんとなく生きていた今日に意味が生まれました

飲食開業を目指す私の外食は、未来につながる勉強です。

買い物は、必要な、価値在るものを選択するようになりました。


生きてることが、つらいなら

生きづらさを感じている人は、無理して我慢しないように。

他の道は必ずあります

本当の自分と向き合って、自分の歩く道を選択しましょう。

ほんとうの自分を無視し続けて、さらに他の道を知らないと

どうしていいかわからなくなり、
心が病気になり、
動くことが出来なくなって引きこもり、
自死という選択をせざる負えなくなります。


自分の道は、自分で選ぶことができる

自分と向き合い、しっかりと考えて、自分で決めましょう。

誰かに言われたから、という選択をすると、必ずうまくいかなくなった時、人のせいにしてしまいます。

人それぞれに道はあります。

選択肢は必ずあります。

今いる場所から一歩離れるのもありでしょう。

会社員の方なら、副業からはじめてみましょう。

または、転職を考えましょう。

最終的に、独立すれば、
すべてが自分で決められます。

自分の人生は自分で決められます。

そして、社会不適合者はそれだけで社会から浮いている存在なので、
その人にしかない「個性」があります

個人事業では、個性は何よりの武器となります。


今日という日は、昨日自死を選んだ人が、たとえ死んででも回避したかった明日

【参考文献】

↓厳しすぎる社会規範が、人々を苦しめているのではないか、という興味深い記事

「あなたがなんとなく過ごした今日という日は、昨日死んだ人がどうしても生きたかった明日だ」
――だれが語ったのかもはや知れないが、印象によく残るフレーズだ。ほとんどの人が、どこかでこの一文をいちどは目にしたことがあるだろう。

たしかにそうだ。「生きたい」と懸命に願っても、それが叶わなかった人がいる。だが暗がりに光を当ててみれば、違った世界も見える。すなわち「今日という日は、昨日自殺した人がたとえ死んででも回避したかった明日」でもあるのだと。


まとめ

【なぜ好きなことをして生きていけないのか】

阻害するものの存在
 ・社会規範
 ・教育システム
 →社会不適合者、不登校児などのレッテル貼り

 =出る杭は全力で打つ

 =だめな烙印を押すことでストレスを与え、逃げ道(選択肢)は教えない。

→選択肢は必ずある

→自分で選ぶ

人生は、良いことばかりじゃ無いけど、悪いことばかりでも無い

一歩踏み出す勇気を。

それでは、おやすみなさい。


↓今日の一曲

”いつかきみはたちあがる どんなに道は険しくとも

雨にうたれ 風に吹かれ 果てない壁に 阻まれても”


”泥にまみれ あざけられ 焼けつく痛みに震えても”


”きみはうつくしい きみはうつくしい”


”息することをやめないで きみがいなけりゃおれは

生きてることをやめないで きみがいなけりゃまるで”

”世界よ やがて おしみなき ひかりを

きみはうつくしい”


きみはうつくしい  /七尾旅人
作詞・作曲 /七尾旅人


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