#006 エア・コンダクターした、ブリュッヘン指揮の「ジュピター」
高校時代にブラスバンドをやっていたことは以前書いたけれど、ブラスバンドをやっている人が、全員「音楽が好き」であったわけではない。入部してからその真実に気づいて、かなりがくぜんとしたし、こうした「歪み」が日本の問題の根底に流れているのではないかと思うんだけれど、それはまた永遠に訪れない後日に書くとして。
バリバリの「ジャズキチ(ジャズキチ●イ)」だった自分は、サックス奏者でもある顧問の教師にある程度信頼されるようになり(大学の推薦状まで書いてもらう)、ブラスバンドの指揮を任されるようになった。
当然スコアを読まなくてはならない。ただ、ブラスバンドのスコアを高校生が手に入れるのは困難だった。しかし、クラシックのスコアは楽器屋などで安価で手に入れられることが分かった。そこでクラシック音楽を聴きながらスコアを読み、スコアに慣れていった。
ドヴォルザークの「新世界」や、ムソルグスキーの「はげ山の一夜」、そしてこの文章の表題にもなっている、モーツァルトの交響曲「ジュピター」などはよく読んだ。
特に「ジュピター」はハ長調(調号がない)だったし読みやすかった。そして、そのリファレンス音源として使っていたのが、今は亡きフランス・ブリュッヘン/18世紀オーケストラによる指揮のものだった。
最初はただ音に合わせて目を走らせているだけだったが、だんだんと「振りながら読まなくてはならない」ということに気づき、スコアを見ながら指揮をするようになった。今はとてもできないけれど、当時はこれが実に気持ちがよかった。ブリュッヘンの指揮も非常に熱く拍子を強調するもので、こちらも熱が入りやすい。繰り返し記号を全部やるので、40分以上の演奏時間になるが、飽きもせず振り切った。
YouTubeに同じように音源に合わせて「空振り」する「エア・コンダクター」なんて人が出てきたけれど、私はそれよりはるか前にそれを完成させていることをここで明記しておきたい。「エア・コンダクター」の元祖は、私か、もしくは好田タクト(知ってます!?)というところで歴史書は落ち着くであろう。
余談ですが、古楽器演奏で慣れてしまったため、現代楽器の「ジュピター」を聞いたら、ぶっ飛んでしまったし、なんか最初は上ずって聞こえて違和感だらけだったのを思い出す。もう慣れたけれど、うん、慣れはしたけれど、絶対的なピッチに関しては甘くなっていった気がする。あんまりいいことではないなと思う。