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メディアが何をしたか Part2橘川幸夫著

[メディアが何をしたか?Part2.
ChatGPT以後の社会]
橘川幸夫 著
橘川幸夫発刊 直接販売商品

橘川さんの本には結論がない。
議論が展開し、さあこれからというところで、
別の話題に切り替わる。
Part1のメディアが何をしたか、も
そういう本で、
2はさらにそこが加速している。

そして、現在まさに進行中の時代についての本であるがゆえに、もやっとした推測が書いてある。
例えば、

・私は人間にはオリジナルな固有性があるという立場だが、
と断ってから、
・同時にそうした固有性への信仰は
近代までの人間の本質かもしれない、
という感じもしている。p155

とか、

・自分の内部にある競争の意欲は、
それなりに愛すべきものだと思っている。
ーしかしそれは20世紀までの原理であり、
「古いなあ」と思う意識も芽生えている

とし、

「競争」とは別の原理が
自分の中に広がりつつあるのは確かだが、
それがどういう形で
自分のなかに根づくかわからない。

と語る。

答えが出ていないから曖昧だとも言えるが、
この、両方あるのが、
次の意識の持ち方という可能性もある。

この先をわたしたちはこれから、
いろんな形で探していくのだろう。

情報化社会とは、人がそれまで絶対化していた、
国、大学、組織、家、地域共同体という
「箱」を抜け、個人になっていく時代だ。

個人として自己を確立し、
より自分自身となって初めて、
ひとはそこにいる1人の人間としての誰か、
と繋がることができる。

そこに、心や気持ちの対価としての
お金や経済が循環する。
人と人とが、生身でつながっていくこと。
そこを中継する仕事が
残っていくのかもしれないと、
ぼんやりと思う。

たぶん「中継」する手段は、なんでもいい。
「銭湯と教育」が
インターネット時代のキラーコンテンツと
橘川さんは書いていた。

人の温もりが循環する
肩書きとかそういうものをなくした、
温もりが通い合うようなもの。
時々汗臭かったり、泥臭かったり、
稚拙だったり、でも嘘がないもの
がいいのだろう。

多少自分が残念に見えても
そういう人でありたいと思う。


手渡し販売品!

と、いろいろ考えた結果、

これは橘川さんの
今を生きている
ロッキング・オン
なのではないか。

という結論に至る。

拳を振り上げ、
崩壊を高らかに歌うROCK。

そしてそれは、
中沢新一がどこかで書いていた
古いタイプの
ディオニソスの祝祭
なのではないか。

歌いながら踊りながら
なるべく派手に血飛沫が飛ぶように牛を殺し、
ピュシス(生の息吹)を
そこから取り出すのだ。

新しい時代、
新しいいのちとして

ブラフマンである時代を生きていくために。

だからこの本は
時代の終わりを語っているのに
こんなに希望に満ち溢れて?いる。


またしばらくしたら

違うことを考えるのかもしれないが

いまはそんなことを思っている。



今回、この本を読んで、
最初に知り合った時、
すでにロツキングオン・オンも
雑誌ポンプの編集長もやめていて、
読み応えのある「企画書」を書いたばかりくらいだったことを改めて知った。

持ってるものを次々に捨てていくって
本当にすごい。

クラウドファンディングで作られたこの本は、
手渡しで売られ、
対話会を開いてまたその内容を盛り込んで
アップデートする、
生成する本、になるのだそうだ。

楽しい出版をやりたい、
と言い、新しい目論見を実践する橘川さんから、
昔も今も目が離せない。





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