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マーレーシアペナン ラーニングジャーニー#3クロージング
三日目はラーニングジャーニーの終わりで、
クロージングが行われた。
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結局、何が私をここに連れてきたのか
と言う問いが田原さんからなされ
それぞれに考えることに。
カフェノームでごうくんから学んだこと。
それは、真にスピリチュアルであるといのは、どう言うことか、ということ。
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ごうくんは、自分には自信がなかったけど、自分の仕事に対する信念には、確信があった。
ある意味では信念こそ、その人自身、と言えるかもしれない。
それはなにかの「兆し」を感じると言う責任でもある。
「兆し」が大きければ大きいほど
恐れが生まれ、それがエッジとなる。
だからエッジとは、
釣りをする場合の手応えにも似ている。
怖いけど。
物語が意味を生成する。
その場に命を与贈すると
意味となって返ってくる。
ノームカフェで生まれた与贈循環が、
その外側に広がっていく物語を
私たちは聞いたのだと、
田原さんは総括した。
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それはプロセスに対する信頼であり、
真にスピリチュアルでいるというのは
どういうことか、という実験でもある。
日本とは違う環境で、
矛盾しあう価値観の中で、
信念が現象化するプロセスを、
私はここに見に来たのかもしれない。
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あっちゃん&Tくんと別れ、
ジャーニーが終わった後で、
私はコーディネーターのはるみさんにくっついて華僑の親子、ろんさん、ファビアンさんのレストランにお邪魔した。
英語で語られる
日本や世界の政治に関するダイナミックな意見や、ペナンの教育問題。
「誰も戦争なんてしたくないんだよ」
と何度も言うロンさんの話に、
頭をクラクラさせながら
聞き入った。
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自分たちは恵まれ層だと思うが、意識して「普通」の感覚で子供を育てようとしている。
と言うファビアンさんに、
はるみさんは小声で「でも彼らの旅行は全部ビジネスクラスだけどね」と教えてくれた。
ビジネスクラスに乗って世界旅行に行く
「普通」のファミリーって
あんまり見たことないけど・笑
王様たちと付き合いがあるロンさん親子と、
最近中国からやってきたふうの
屋台の店主の世界はかなりな隔たりがある。
同じ中国系でも、現地女性と結婚し、独自の文化を培ってきた、プラナカンの人たちはまた、
全然違う歴史感覚を持つのだろう。
それぞれがそれぞれに世界になにかを
与贈、している。
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では私は世界に、なにを与贈し、
意味生成を行うのか。
エッジが立っているところはどこか。
異文化を知ると言うことは
翻って自分自身を見つめることだ。
旅をするたびに、何者でもない
のっぺらぼうな自分が立ち現れる。
その度に慌ててそこに、
どこかで見た何かを貼り付けたくなるけど、
急場凌ぎに何をしたって
私がのっぺらぼうである事実は
隠しようがない。
壊れる時には盛大に壊れるのが
正しい。
分解した部品がころげ落ちたその後で
まだ残っているもの、
空虚な私が向かっているなにかを
人はおそらく「自己」と言ってきたのだ。
*トップ画像写真はペナン島のストリートアートの火付け役、リトアニア出身のアーティスト
アーネスト・ザカレビッチ氏の「自転車に乗る子供たち」です。