お金とインドと未来。Slowdown 社会の成長と成熟を考える
ずいぶん昔のことだが、
インドで1ヶ月暮らしたことがある。
知人の紹介してくれたインド人の家の
ガレージみたいなところに
間借りしていた。
そこから毎日
日の出と日没のガンジスを眺めに
歩いて行く。
川べりのチャイ屋で
警察官と一緒にチャイを飲んだ。
ほったて小屋のようなその店には
いつ行っても
10歳の賢そうな男の子が働いていて
素焼きのコップでチャイを出してくれる。
ある日、そうやってお茶をしばいていたら
「Are you happy?」
急にその子が尋ねた。
しあわせじゃない。
と私は答えた。
なぜって,昨日せっかく買った
ラピスラズリの小さな石を
なくしちゃったから。
私は悲しいの。
君はどう?
ぼく?ぼくは幸せだよ。
仕事もあるし、来春には学校にも行けるんだ。
たまこはかわいそうに。
と、彼は言い
お弁当を分けてくれた。
銀色のステンレスの入れ物に入った
ほうれん草のカレーは
信じられないほどおいしかった。
けど、少し
しょっぱい味がした。
彼は親と離れ1人で働き
その掘建て小屋に寝起きする。
靴も持っていない子から
私は弁当を半分、貰って食べる。
彼だけでなく、
インドではたくさんの子供達に会った。
キラキラした目でお金をたかる子供達に
小銭を配り、虫刺されの薬を配り、
それもなくなるとみんなで歌を歌った。
足と手を、一本ずつ欠いた体で
床を這いながら物乞いをする子がいた。
どの子の目も輝き、
どの子もフォトジェニックだった。
その頃私は暗くて
思い詰めたような顔をしていた。
そのせいなのか、
単なる流行りなのか町を歩いていると
やたら人に声をかけられた。
Are you happy?
So so
と言うとあるマダムは
おまえは金持ちか?
と続けた。
いや、違うよ。
そりゃよかった。
持てるものは,不幸だからね。
物はないほうがいいのよ。
やがて日本に帰国して、日に焼けた
真っ黒い顔で保険会社の窓口の仕事に
復帰した。
やたら紙がたくさんある職場に
違和感を持った。
営業成績を上げるために
名前を借りて保険契約を結び、
保険料が払えず自殺した営業員さんの
保険や、
税金対策のため
投機要素の高い商品に手を出し、
バブルが弾けて
借金以外の全てを失った
老夫婦の保険の、解約手続きをした。
商売に失敗して夜逃げする一家や、
お金のために親を殺した娘、
暗澹たる現実を目にするたび
インドの子供達の
きらきらした瞳を思い出した。
Are you happy?
今こそ私たちは
そこを問うべきなのではないだろうか。
世界中のあらゆるところで人口は減少し、
気温の上昇以外のあらゆる分野で
Slowdown が起きている。
と、「減速する素晴らしい世界」の著者
ダニー・ドーリングは言う。
GDPを上げるためには二酸化炭素を出しながら、生産と消費を繰り返さなくてはならない。
しかし、人間の生存に適した環境を守りながらそれを行う限界値を、私たちはもはや越えようとしている。
Wikipediaの記事の数や、出版される本の数、
学生ローンの伸び率の鈍化など
さまざまな局面におけるSlowdown は
人類の動物的な危機意識の現れかもしれない。
みんなが生きて行くために互いに首を絞めあうような事態を、私たちはここで終わらせなくてはいけない。
でもどうやって?
歩き出すには、
行き先を決める必要がある。
新しい「成長」と「成熟」の向かう先を。
「万物の黎明」のグレーバーは言う。
人類史の究極の問題は
単に物質的資源を、平等に分配すると言うことではない。
どのようにともに生きるか、という決定に貢献する私たちの平等な能力を
どのように発揮していくか、だ。
それを平等に発揮し、活用して行くことがおそらく「成長」であり、「成熟」なのだろう。
いわゆる「参加型社会」だ。
それは、小さい規模では、もう、生まれてきているのかもしれない。
世界のあらゆる場所で、同時多発的に。
その現象は、
社会の「成長」と「成熟」と言う文脈で
語られることを
待っているのではないか。
そう言うことをみんなで考えたくて、
成長と成熟バンドに参加した。
背景が違う仲間と
探る未来が、楽しみでならない。