追悼 和紅茶のレジェンド村松二六さん
<追悼>
10月15日
大好きな和紅茶界のレジェンド
知る人ぞ知る、静岡の村松二六さんが、
亡くなられた。享年84歳。
彼の作り上げた丸子紅茶「紅富貴」を置いている
カフェが、夫の菩提寺のそばにあって、
マスターにその存在を教えてもらったのだ。
二六さんの作る紅茶は香りが高く、
香りがいつまでも変わらず、
数度のスリランカ滞在で
すっかり紅茶LOVEになった私を感動させた。
おいしいお茶があるから
早く家に帰ろう。
と幸せに思う味だった。
二六さんは、1971年の紅茶の輸入自由化で
危機に瀕した和紅茶の伝統を守るため、
有機栽培に切り替え、様々な工夫を行い、
真に美味しい紅茶をつくりあげるとともに
たくさんの後進を育て、
現在の和紅茶のブームの先駆けとなった。
好きすぎて茶葉が切れる度に
静岡の村松さんの奥様(たぶん)に電話して
お茶を送っていただいた。
仙台なんです。と住所を言うと、
決まって石巻からやってきて、
紅茶の作り方を学んでいる
若者の話を、嬉しそうに聞かされた。
伝統のある東北のお茶屋さんでね
震災で大変だったようだけど
すごく熱心な人だからぜひ
お店に行ってみてね。
今年10月の初めに注文をお願いしたときにも
やっぱりその石巻「あさひ園」さんの話になり、
これは一度行ってみなくちゃと
昨日、タイミングがあったので、
仲間と店舗を訪れてみた。
村松さんは石巻の若者、
あさひ園の工場長さんのもとを訪れ
気候が異なる土地での紅茶の生産を
一緒に研究してくれたそうだ。
そこで先月10月の15日に
二六さんがお亡くなりになったことを
初めて聞かされた。
私はただ紅茶を飲んでいただけなのだ。
でも、会ったこともない
1人の生産者の方の死が、
今、ものすごく悲しい。
そのお茶には愛がこもっていて、
他の紅茶と全然違う味がした。
淹れるたび、そこから立ち上る香りを嗅ぐたび
口に含むたびに
自分の生を確認している気がしたのだ。
たぶん本当の食べ物や飲み物って
そう言うものなのだろう。
若い工場長さんがお店で試飲させてくれた
和紅茶「kitaha」の香りは
村松さんのお茶から立ち昇る
馥郁とした香りと同じ深さがあって
そこに泣きそうになってしまった。
人の死には抗えない。
誰の命にも必ず終わりは来る。
でもこうして、
その人がどのように生きたかは
続いていくのだろう。
きっと、ずっと、遥かな彼方まで。
いつか、手元にある二六さんのお茶も
なくなるだろう。
そうしたら私は、何か遺言を聞いた気持ちで
和紅茶「kitaha」を買いに行くだろう。
誰にも頼まれていないのに
天国の二六さんに報告するつもりで。
石巻「あさひ園」は2011年の東日本大震災で
社屋店舗が全壊。
その4年後に社屋を再建し、村松さんにつながり
和紅茶の開発を始めた。
震災から6年後に発売された
和紅茶「kitaha」は
2018年のG20大阪サミット首脳夕食会にて
提供されるなど、華々しい成功を収めている。
村松さん。
長い間本当にありがとうございました。
心よりご冥福をお祈りします。
あさひ園の和紅茶「kitaha」は仙台パルコ1で買えるほか、
オンラインショップでも購入できます。
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