中学校について
■ 特別支援学級
小学校卒業後は、娘も息子もそのまま自宅学区の市立中学校に進学し、息子は引き続き特別支援学級(個別級)に通うことになりました。
小学校の間に、どこかで一般学級に移れるタイミングが来ないかな、と思わなくもなかったですが、正直なところ、4年生以降は一般学級と個別級の学習進度(特に算数)の差がかなり拡がるため、相当にハードルが上がると思います。結局、その「タイミング」は逸してしまいました。
お世話になった放課後児童クラブの学区は違う中学校になるため、学童で一緒だった子は誰もいませんが、保育園時代に一緒だった子たちは、ほとんどが今度の中学校に進学することになるので、別な隣の小学校に行った子と「再会」するケースも多かったです。
個別級にも1人、同じ保育園だった男の子(恐らく「B2」だと思われます)が入りました。
自宅からその中学校までは徒歩で30分ほどですが、かなり起伏があり、急な登り坂もあります。
多くの生徒から「あれで体力が付いた」と言われる「坂」ですが、大人でも結構きつくて「箱根駅伝の5区か!?」と言いたくなるほどです。
自宅から校門まで徒歩「30秒」だった小学校とはあまりにも「格差」が大きいので、最初の1か月間は勤務時間の特例制度を利用して息子と一緒に登校し、中学校から45分ほど歩いて出勤、というスタイルを採りました。
朝から1時間半近く歩くことになり、筆者にとっては結構な運動量になりましたが、息子には特に問題が起こることもなく、5月の連休明けからは、一人で登校できるようになりました。
息子は、身体障害者手帳に紐付いた「福祉特別乗車券」も持っているので、バスに乗って行くこともできるため、最初のうちは時々バスにも乗っていたようでした。後に「放課後等デイサービス」に通う時などは、下校時に路線バスに乗ってそのまま通所、ということもありましたし、バスで通学してはいけない、という校則がある訳でもなかったようです。
しかしある朝、バスに乗ったら「隣に校長先生がいた」という出来事があり、それ以降は歩いて登校するようになりました。
横浜市の「福祉特別乗車券(福祉パス)」は、身体障害者手帳(4級以上)、療育手帳(愛の手帳)、精神障害者保健福祉手帳の所持者が交付を受けることができます。
一般路線バスは、市営・民営を問わず乗車または降車場所が横浜市内の場合に利用できます(高速バスなどは除外)。その他、横浜市営地下鉄と横浜シーサイドラインの全線が利用可能です。
以前は無料でしたが、10年ほど前から年間1,200円(20歳未満は600円)の負担金が必要になりました。また、それまでは対象外だった「愛の手帳」の「B2」も対象となりましたが、身体の5・6級は対象外のままです。
高校進学後は、バス・地下鉄・私鉄・バスと乗り継ぐことになったのですが、これがあるおかげで「私鉄の通学定期」だけ買えばいいため、ずいぶん助かっています。両端のバスが違うバス会社なので、まともに買うとそれだけでも結構な金額です。
1年生の時には、個別級は3年生の教室と同じフロアにあり、中学校に入った時の息子は、まだ身体も小さく声変わりもしていなかったためか、3年生の「お姉さん」たちに大人気で、可愛がってもらったようです。
元々、小学生の頃から、下級生の女の子にさえ「抱っこ」されそうになるほど小柄で、どうやら「母性本能」をくすぐるタイプだったのかも知れません。
1年先輩の個別級2年生に、前年は同じような立場だったという生徒がいて、その座を「奪われた」と感じたためか、最初は少し意地悪をされたこともあったようですが、短期間で落ち着きました。
息子は、一見おとなしく見えるのですが、時々「謎の行動」に走ります。しかし、基本的に乱暴な行動はしないですし、社交性も意外に持っているようです。また、他人が嫌がるようなこともしません。
同じフロアの3年生の先生たちとも親しくしていたようで、特に、個別級の隣のクラスの担任の先生が、後述する(娘が入部した)吹奏楽部の顧問でもあったことから、吹奏楽部のイベントなどに行った時も、よく傍にいました。
この中学3年間の「成長」は著しくて、特別支援学級の担任の先生たちも驚くほどでした。
特に、2年生以降になると「後輩」もできるのですが、とてもよく面倒を見ていたそうです。
また、もともと走ることが大好きだったこともあって、体育の授業のメニューの一つである「外周」(文字通り、学校の周りを何周か走ってタイムを計るもの)が楽しみになったようです。雨で「外周」が中止になると、本気で悔しがるほどでした。タイムの「目標」もできたりして、体力も付いてきたな、と思いました。
■ 副学籍学級と学校行事・課外活動
小学校時代が嘘のように、運動会にも積極的に参加して、副学籍学級(交流級)でもムードメーカー的な存在だったようです。
息子は、1年生の運動会の時に「4組総監督」という「謎の肩書」までもらっていました。優勝したので、胴上げでもされるんじゃないか、という勢いでした。
交流級への参加は、昼食(当時の横浜市では、中学校の「給食」がなかったこともあり、毎日交流級に行っていました)とか学活、道徳の授業くらいだったようですが、卒業後の進学先での授業のことも考えて、3年の社会科だけは交流級で受けさせました。
社会科の先生が、これまた「ちょっと大丈夫かな、この先生」と思うような人だったこともあって、多少の不安はありましたし、小学校時代の経験から「つまらないかも知れないけど我慢して」と参加させました。
息子的には、先生の説明におかしなところがあると「指摘」するという「役割」を感じたような「参加」の仕方だったようです。
この中学校にある部活は、何故か運動系ばかりでした。文化部は、吹奏楽部や美術部くらい。もしかしたら、と思っていた「書道部」が入学前年に廃部になってしまいました。仮に書道部が存続していたとしても、左利きなのでどうだったかな、とは思いますが。
そのため、息子ができそうなものはありませんでした。
ちなみに娘は、前述のとおり吹奏楽部に入りました。
小学校から仲の良かった友達が、「親が運動部じゃないなら吹奏楽部じゃなきゃダメ、って言ってる」ということで、一緒に入ることになったようです。
楽器は、よくわからずに迷っていたようでしたので、部活が終わっても個人で手軽にできそうな楽器として(筆者自身の経験も踏まえて)「トランペット、フルート、サキソフォン(サックス)のどれか」を勧めたところ、フルートを選びました。
筆者は金管奏者でしたので、フルートやサックスについては、正直なところ、よくわかっていないのですが、ともに「金属製に見えるけど実は『木管楽器』」だということくらいはわかります。サックスは「リード」が辛うじて木製なものの、フルートにはどこにも「木」の部分はないのですが。
ということで、息子は「帰宅部」になるのですが、それもあって「放課後等デイサービス」を利用することにしたのは、既に書いたとおりです。
でも、委員会活動については「図書委員」に積極的に立候補して、何度も参加していました。とにかく、本を読むのは大好きで、小学校の頃から「図書室」は、重要な「居場所」の一つだったと思います。
そのため、今でも家族との待ち合わせも、よく本屋になります。
校外行事は、1年生の時の区内中学校の個別級合同宿泊体験学習こそできましたが、それ以降は、全て「新型コロナ」で中止になってしまいました。
その「合同宿泊体験学習」は「愛川ふれあいの村」が会場でしたが、施設内に医療処置をする場所こそあったものの、自宅から往復するにはちょっと遠く、筆者が泊まれるホテルも車で30分くらいの所(本厚木駅の辺り)にしかありませんでした。仕方なく、そのホテルから往復して処置に行きました。
2年生の「自然教室」(群馬県みなかみ町に行く予定でした)、3年生の「修学旅行」(京都・奈良と琵琶湖などの予定でした)とも、度重なる「延期」の挙句に中止になってしまいました。
2020年度はともかく、3年生だった2021年度は、近隣の小・中学校ではどうにか修学旅行にだけは行けたという学校も少なくなかったのですが、「延期先」にしたタイミングの問題、というよりは「運」が悪かったのか、ことごとく「緊急事態宣言」とか「まん延防止等重点措置(まん防)」とぶつかってしまいました。
最後のチャンス、とされた「公立高校の入試」とその「合格発表」の間、も「第6波」に直撃され、あえなく「中止」になってしまいました。
息子も「修学旅行でN700S(最新型の新幹線)に乗れるかな?」と楽しみにしていたのですが、残念な結果に終わりました。
■ 内申点
息子は、ずっと特別支援学級にいたため、いわゆる「内申点」が付かないことは想定の範囲内でした。
中学3年生の社会科だけは一般学級で受けましたので、それだけは「評定」が付くのですが、一般的な入試においては「焼け石に水」です。
神奈川県に限らず、公立の高校の場合には「調査書」の「評定」、いわゆる「内申点」が大きなカギを握っています。そのため、ほとんどの授業を交流級で受けられる、とか、定期テストだけは一般学級の生徒と一緒に受けられる、とかでなければ、ほとんどの教科で「評定」すなわち「内申点」が付きません。
実際に、療育手帳を持たない(持てない)まま特別支援学級に在籍した生徒の多くは、「内申点」を問わない、発達障害などに理解のある私立高校等に進学しています。
都道府県によって、かなり違いがあるようではありますが、このように神奈川県をはじめとする多くの都道府県では、特別支援学級に在籍している場合、例えば副学籍学級(交流級)で授業や定期テストを受けないと「内申点」は付きません。そうでなければ一般学級の生徒と同様の基準で評価できないからです。
そのため息子の場合で言えば、3年生の社会科しか「内申点」は付かないことになります。
神奈川県の公立高校の入試では、実技科目を含めた9教科の評定について「2年生の学年末の評定点の合計」に「3年生の学年末評定点合計の2倍」を足したものを、各高校が定める比率で合否判定の点数に加えます。
娘や息子が受験した年の状況(現在はまた結構変わっているので注意が必要)ですが、いわゆる「内申点」がこの「総点数」に占める割合は、大きいところで全体の50%(内申:学力検査:面接=5:3:2の学校)、小さいところでも約17%(内申:学力検査:面接:特色検査=2:6:2:2の学校……ちなみに横浜翠嵐高校しかありませんでした)になります。
特に「中位校」以下とされる高校では、この比率が「4:4:2」や「5:3:2」がほとんどのため、入試において、最初から4~5割の点数を「落とす」という前提になってしまいます。
「内申点」の比率が比較的小さい「3:5:2(:1or2)」になっているような高校は、いわゆる「旧学区のトップ校」などの「上位校」しかなく(上位校とされる学校でも、例えば川和高校は「4:4:2:1」、横浜平沼高校が「4:4:2:2」など「内申点」を比較的重視する学校もあります)、3割でも大きなハンディキャップになってしまいます。
若かりし頃、都内の小さな塾で講師をしていたことがありましたので、当時の都立高校の入試制度は理解していたのですが(今では全然違うでしょうが)、神奈川県の公立高校入試についてはよく知りませんでした。
それでも当時から神奈川では「アチーブメント・テスト(通称ア・テスト)」(1997年廃止)という制度があり、早期からの対策が必要だとは聞いて知っていました。その傾向は今でも残っているように感じます。
また、2024年入学を対象とする選抜から、神奈川県の公立高校入試について「面接」を「特色検査」の一つとする(実施しない学校もあり得る)ことになったり、従来「評定」を使用せず検査と面接だけで選抜していた「第2次選考(定員の1割を留保して学力検査の結果重視で決定)」に「観点別評価」の一部(3年の「主体的に学習に取り組む態度」)を含む、など、かなり大掛かりな「制度変更」がありました。実際の志願に当たっては、最新情報を必ず確認されることをお勧めします。
■ 「娘(健常児)」の「高校受験」
息子については、元々「内申点」を気にしても始まらないことは判っていました。
しかし娘も「内申点」について、息子とは違った課題にぶつかってしまいました。
定期テストや「全県模試」などの成績は意外に良かったのですが、それと比較すると、いわゆる「内申点」が極端に低い状態でした。
本人は「自分は『陰キャ』だから」と諦めた様子でしたが、定期テストでクラス1位なのに、いくら何でも「3」ということはないだろう、と学校に確認に行ったこともあります。
よくわからない説明を繰り返され、結局、学校側の姿勢が変わることはありませんでした。
そのため、娘の志望校は絞り切れなくなってしまい、近隣には「ちょうどいい」(偏差値や難易度とかだけでなく、通学方法や所要時間、校風なども含めて)公立高校は全くなく、私立に行くしかないかなあ、という話も出てきました。
娘自身は「私は私立のキャラじゃない」とも言っていましたし、実際に私立高校に進むとなると「学費」の負担も大きくなります。夫婦ともフルタイム勤務なので、合わせるといわゆる「高校無償化」の基準を少しはみ出してしまいます。どこかの元知事・市長などのように「子だくさん」だったら(控除で)わかりませんが、うちにはこの二人しか子供はいません(ネコはいますが、もちろん控除の対象にはなりません)。
授業料そのものもそうですし、その他にもいろいろな「名目」での「校納金」があり、トータルで見ると、額面上の「授業料」の「倍くらい」かかるんじゃないか、と感じます。
そして、万一の場合には、それが「二人同時」にかかることになります。
そんな「万一」の場合のことを考えてしまうと、「ペーパー離婚」という単語が頭を過ぎります。でも仮に表面上、戸籍を切ったとしても「実態」を見られる場合も考えて(かつて「児童扶養手当」に関する仕事に関わった経験もあるので)、ある程度の「下準備」だけはしておこうかな、と考えました。
そのため、筆者は一度、世帯から消えました。
県内でもちょっと微妙だな、と思ったため、数か月間、県外に出ています。
結果として「下準備」だけに留まったのですが、あちこちに色々と「影響」が残ってしまい、「新型コロナワクチン」の「接種券」の番号が変わって再発行が必要だったりしました。
もしも選挙の時期だと、選挙権とか選挙人名簿登録にも影響を与える可能性もありそうです。
また、市外に出たことによって、横浜市の各種システム上では、その前後で「別人」として扱われてしまいます。役所の話だと、住民記録システム上でコードが新たに付けられてしまい、転出前のデータとは別になってしまうため、らしいです。
ワクチン接種券の件もそのためなのですが、例えば「放課後等デイサービス」のための受給者としてのデータも、システム上ではちょっと面倒なことになってしまったようです。
余談ですが、この「下準備」は中学校にも気付かれました。
ある日、娘が担任から「お父さんとお母さん、何かあったの?」と訊かれたそうです。
これには「学籍」が絡んでいます。
義務教育課程では、対象学齢の児童・生徒の就学状況を区市町村が管理しており、横浜市の場合は、区役所の戸籍課登録担当(住民基本台帳事務)で取り扱っています。
筆者の住民票が他都市へと「抜けた」ため、必然的に住民票上では、子供達の「世帯主」が変わることになります。予め妻を世帯主にしておけば、こんなことにはならなかった、と後から気付いたのですが。
「学籍事務」の取扱上、その「世帯主変更」が在籍校に通知されてしまうようです。
中学校から見れば、世帯主が「父から母」に変わるケースとして、まず「離婚」や「別居」が思い浮かぶのでしょう。どうして「単身赴任」などを想定しなかったのかはわかりませんが(日頃の行い?)。
■ 空気の読める「発達障害児」
そんなことを見ていたからか、息子にも「私立はお金がかかって大変なんだ」と思わせてしまったようです。
その後、息子自身が考える進路から「私立高校」は消えてしまったようでした。
よく、自閉スペクトラム症などの神経発達症(発達障害)があると「空気が読めない」などと言われます。
もちろん「空気が読めない」神経発達症の人も少なくないと思いますが、全員がそうだという訳ではありません。また「空気が読めない」のは、自閉スペクトラム症などの人に限った話ではなく、「空気が読めない」から「自閉スペクトラム症」「発達神経症」という訳でもありません。
息子に関しては、意外に「空気が読める」ほうだと思います。正確には「空気が読める」ようになってきた、と言うべきかも知れません。少なくとも、中学校の途中からは、そう言えると思います。
「空気が読める」けれど、そうであることを表現するのが苦手な部分はあると思います。
「発達障害」のある子の場合、「わかっていない」ように見えて、実は「よくわかっている」ことが往々にしてあるのではないか、と感じています。
わかっているけれど、それをうまく表現できない、ということなんだろうと思います。
表現力が弱くても、感受性の強い子は少なくないのではないでしょうか。
そのような子に対する時、その点についての配慮も必要なのではないか、と思っています。
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