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地域療育センター

■ 診断

 息子は1歳6か月健診、そして3歳児健診でも「発達の遅れ」がある、という指摘を受けて、結果的に地域療育センターを受診しました。そこで「広汎性発達障害(PDD)」ないし「自閉症スペクトラム(障害)(ASD)」の診断を受けます。
 その時に受けた検査でのいわゆる「IQ」が80程度だったと思います。保育園の項でも触れましたが、確かに色々な「成長」が、娘よりも半年程度遅れているなと感じていました。

 診断はされたものの、最初の頃は、どうしていいのかさっぱりわかりませんでした。
 確かに赤ちゃんの頃、あやしていても娘に較べると、かなり反応が「薄い」なあ、と思っていたことはあります。
 療育センターでは、自閉スペクトラム症などの神経発達症に関する講習会なども定期的に開催されていて、いくつか参加したりしました。しかし、具体的にどうすればいいのかが、いま一つよくわかりませんでした。

 今となっては「発達障害」に関する知識もかなり持ってはいますが、当時は「何それ?」という状態で、「自閉症」と言われても、あまりピンときませんでした。多くの人が「自閉症」に対して抱くイメージと大差なかったのでしょう。
 確かに「自閉症」という言葉の響きには、その実際の症状とは少し違うイメージを持たれやすい部分があるかと思います。その意味では、「発達障害」と言われるほうが、まだ、わかりやすいかも知れません。
 度々触れたように、近年の医学界では、「発達障害」ではなく「神経発達症」という表記を使う場面が多くなっています。その他にも、「自閉スペクトラム症」とか「限局性学習症(障害)」など、以前とはちょっと違った表記がされることもある病名・障害名はたくさんあります。
 ただ単に表記をいじっているだけに感じる人もいるでしょうが、見方を変えれば「(原因含めて)まだまだよくわかっていない症状や疾患」なのではないか、とも言えそうです。
 ここ(今後の文章も含む)でも文脈によって「使い分け」することがあると思いますので、御承知おきください。

■ 集団療育

 年中(4歳児クラス)の秋頃「全6回の短期の集団療育のクラスがあるんですが……」と療育センターのスタッフさんから勧められて参加してみることにしました。
 そこでは、発達に課題がある子どもに対して、どのように接するとこちらの意図が伝わりやすいか、また、何かを伝えるときの注意点はどんなことか、などのヒントを得ることができました。

 これは、仕事などでも活きることがあります。
 当時は、まだ「新型コロナ」とか「ソーシャルディスタンス」とかいう言葉は、想像すらしていなかった時期ですが、例えば受付窓口などで「次の順番の人には(感染予防とか個人情報とかで)少し離れて待っていてほしい」というような場合、その位置の床面に「足形」のようなマークを貼るだけで、指示が伝わりやすくなります。

 その他にも、予め見通しを示すことの重要性や、集団で行動する時に気を付けたいことなど、色々な視点で気付かされたことがありました。

 そして年長(5歳児クラス)に進む少し前にも、通所療育の案内がありました。
 療育センターには、ほぼ毎日通所するようなコースもありますが、それはかなりキャパが一杯いっぱいです。また「両親ともフルタイムで働いていると週5日は大変でしょうから」と、ちょうどその年度から新設するという「週2回・半日コース」のクラスを紹介されました。場所も療育センターではなく、少し離れた場所にできた「分室」だそうです。
 ちなみにこの「分室」、後に隣の区に新しい地域療育センターができたことで役割を終えましたが、跡地と建物はそのまま放課後児童クラブ(学童保育)になっているようです。

 その時、筆者は既に同一ポストで4年目に入っており、普通ならば翌年度は異動するはずでした。
 療育センターで提示された「週2回の通所療育」ならば、その少し前に設定されたばかりの「週3日フルタイム勤務の育児短時間勤務」で対応できるだろう、と思いましたが、その当時の業務には精通しており、予定された大きなイベントもない年でしたので、そのまま5年目に入っても何とかなるかな(「うつ」の原因になった人は異動したし)と、「留任」の希望を出しました。

 が、結果として「総務課付」を発令されました。流石にラインの管理職が「週休4日」ではダメだろう、ということかも知れません。
 もし、それで乗り切れてしまったら(経験がものをいう属人的ファクターが大いにあるとはいえ)「その程度のポスト」と思われてしまうという危惧、というか「大人の事情」もない訳ではないかと。

 実際の療育は、5月から翌年1月まででしたので、それ以外はフルタイムになりますが、「基準日」の4月1日がフルタイムなので年次有給休暇はフルに20日付きました(さすがに通常は「5日/年」の夏季休暇は3日でしたが)。
 もちろん会社によって制度は違うと思うのですが、「育児短時間勤務」などを検討される方は、勤務先の就業規則等をよく確認して「損」しないようにしていただければと思います。
 万一、休務日にどうしても出勤しなければならないことが生じたとしても、年に1回か2回でしょう(実際に1回あっただけでした)。その時の療育通所は妻が対応することにしました。

 療育のために使った「育児短時間勤務」制度でしたが、実際には療育が昼過ぎに終わってしまうため、「休務日」とは言っても、それ以降はフリーになります。なので、その日は自分が夕食を作ることにしました。
 料理など、小学校の家庭科でちょっとやっただけ(しかも後述するように今で言う「不登校」をやらかして、あまり学校に行っていない時期)でしたが、慣れれば意外とどうにかなりました。
 学生時代から就職後しばらく、数年間ではありましたが、一人暮らしだった時期があったこともあるのかも知れません(たいしたものを作った記憶はないのですが)。今でもたまに食事を作ることはあります。

■ 当事者・保護者のネットワーク

 この療育で、当事者・保護者のネットワークができました。

 たまたまクラス全員が、隣接してはいるのですが違う小学校の学区だった、ということで、後に、特別支援学級(個別級)の合同行事などで再会すると、ああ、みんな成長したな、と思うことも多かったです。

 息子が入った療育のクラスは、年長(5歳児)が男児4人、年中(4歳児)が男児1人と女児2人の計7人でした。母親がついてくる家がほとんど(1人だけ、何回か父親が来た子がいました)だったためか、保護者の集まりは「ママ会」と呼ばれていました。
 分室には、同じ曜日にもう1クラスありましたが、そちらでも父親の姿を見たことはありません。毎回、「父親」が来る我が家は、かなり異色の存在だったように思います。

 最終回の通所が終わった後、保護者と子供達で「卒業パーティー」のようなことをしました。
 息子も「飲み会だ~」と、盛り上がっていました。「飲み会」というのも、子供にとっては「憧れのワード」だったのかも知れません。
 言葉もそれなりに出るようになりましたし、その辺の子供たちと同じように「大人の真似」をしたがるようになったのかな、と感じました。

 また、療育を通じて「発達障害」に関する理解も深まりましたが、知れば知るほど筆者自身にも思い当たることが多数あることに気付きます。
 こだわり、とか、複数での行動よりも単独行動を好む、とか、考えてみたら「男」っぽい特性って、自閉症のそれと似ている気がします。実際「自閉症を含む発達障害」の発現率は、男児は女児に較べて4倍くらい、ということもよく聞きます。
 程度の差はあれ、突き詰めると、男はみんな、多かれ少なかれ「自閉症の素質」を持っているんじゃないか、という気もします(女性は誰も持っていない、という訳ではありませんので念のため)。
 時代が違っていれば、筆者自身も(その時代だと)「アスペルガー障害(症候群)」とか診断されていたのではなかろうか、と思えてなりません。

■ 「発達障害」と「IQ」

 本題からは逸れてしまうのですが、今にして考えると筆者自身には「不登校」をやらかした時期がありました。当時はまだ「不登校」という言葉は一般的ではなく「登校拒否」などと呼ばれていたと記憶しています。
 小学校5・6年生の時に、当時の担任との折り合いが絶望的に悪かったのです。今になって思い返してみても、とんでもない「先生」だったと感じることが多々あります。

 ある時、その担任と授業中に口論になりました。何に対しての「口論」だったのかは記憶にないのですが、自分が担任を責め立てていたのだと思います。その時に担任の口から発せられた言葉は、今でも忘れません。

 「知能指数(IQ)が高いと思って、いい気になるな!」

でした。このことが、現在でも筆者が「IQ」を懐疑的に見てしまうことにつながり、息子に検査を受けさせることにも若干の抵抗を感じていた部分があることは否定できません。

 今でもそうなのかわかりませんが、当時、確かに小学校の間に2~3回、知能検査のようなものを受けさせられていたと記憶しています。
 ですが、その結果は、少なくとも本人には知らされませんでした。なので、その担任の「捨て台詞」(としか思えません)に対して「何言ってんだ?この人」としか思えなかったのです。

 その「知能検査」の結果は今でも知りませんが、思い返してみると、確か「公務員試験」とかの「知能」問題に出そうなものが、やたらとたくさん載っている冊子を使っていたように思います。
 普通にやったら、絶対に時間内に終わらないんじゃないか、という量がありました。それはそうでしょう、問題数が少ないと、高IQになる層を正確に測定できないでしょうから。

 ところが、5年生の時に受けたその「知能テスト」のようなもの、確かに問題数は多かったのですが、全部解けて(正解かどうかはわかりませんが)かつやたらと時間が余った……ような記憶があるのです。
 問題量が「標準」の2倍あって全部正解だったら、単純計算でIQ200ということになります。本来はもっと複雑な計算をするのでしょうが、大まかに言えば正答率7割でも140ということです。IQが135を超えたら「天才」とか、どこかで聞いたことがあります。
 正確にはわかりませんが、もしかすると「とんでもない数字」になっていたのかも知れません。

 今考えると、自分にも今でいう「発達障害」のような言動が多々あっただろうと思われるので、担任から見れば「生意気で嫌なガキ」だと思われていたのではなかろうか、と思います。
 そんなこともあって(これだけが原因ではないのですが)この頃から、かなり学校に行くのが嫌になりましたし、実際ほとんど行かなくなってしまった時期もありました。
 さすがに何もしないのも落ち着かないので「塾」に行ってみたりもしましたが、そこでも相性の悪い先生がいて「あいつの授業だけは絶対に受けない」とボイコットしていた記憶もあります。
 完全に「アスペルガー障害」ないし「高機能自閉症」だったんだろうな、と思います。

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