ステーキは人の原始的な本能を刺激するなと思いながら、肉を焼いたら‥
今日はステーキを焼こうと思った。
病み上がりで味覚を失っているので、ステーキなんてもったいない、とも思う。だが、いや、だからこそ、他の感覚を刺激するイメージが重要なのだ。肉汁あふれるアツアツのステーキにかぶりつくことで、食べる意欲を高める。その勢いで体力と気力を復活させよう、というのが私の企みだ。
だから、肉は自分で焼くし、ステーキソースも自分で作る。
ステーキは焼き方が命だ。ステーキは味と香りだけでなくて、歯と顎でもガッツリ楽しめるとこも魅力だ。
だから、霜降りの高級肉なんかお呼びじゃない。今夜、焼くのはオーストラリア産の特価品。厚さ1㎝くらいで重さは150g。赤身と脂身が地図の国境線みたいにくっきり分かれている。歯ごたえは十分そうだ。
ビーフステーキはかつてご馳走の代名詞だったが、最近は分が悪い。
牛肉は健康によくないと言われるし、牛の飼育が地球環境に重大な負荷をかけている、なんて主張もある。
信仰に熱心だった父も「牛は食べるものではない」といつも言っていた。母は牛肉アレルギーで、牛肉は一切口にしなかった。思えば、牛肉を気軽に食べる家庭環境ではなかったな。
しかし、多方面に若干の罪の意識を感じつつ、今日は粛々とステーキを食べる準備を進める。誰から何と言われようと、今日は肉を食べる。
焼く30分前頃を見計らって、肉を冷蔵庫から出した。その間にステーキソースや付け合わせを準備する。肉の筋切りをして、塩コショウを振った。準備完了。頭の中で何度も焼く手順と時間をシミュレーションしてから、フライパンに乗せた。脂が弾ける音と肉の焼ける匂い。いつもこの瞬間に気分が高揚してくる。肉を食べる行為は、人の原始的な本能を刺激するのかもしれない。
なんてことを考えていたら、焼き過ぎになってしまったではないか。
味覚を感じない時期に食欲を回復させる方法として、もっと理知的な方法がありそうだが、調理の準備から完食まで、五感と全身をフル活用させるのはとても楽しい。ミディアムのつもりがウェルダンになったけど、食事を楽しむことができた。今日はこれで良しとしよう。
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