勝手に逝きやがれ!追悼:ジャン・ポール・ベルモンド
ジャン・ポール・ベルモンドが亡くなられたので、彼についての回想を書いておきたい。
私にとっては、大スター中の大スターだが、今となっては知らない方も多いと思うので、まず略歴を。
1933年4月9日生まれ。
サッカーとボクシングが大好きで、ボクシングはウェルター級ボクサーとしてプロになるほど強かったらしい。
56年に国立演劇学校に入学して、優秀な成績で卒業。
その後、当時のフランス映画界を席巻したヌーヴェル・ヴァーグの代表作(『二重の鍵(59)』と『勝手にしやがれ(59)』など)で大ブレイクして、新しいフランス映画の顔となる。
一方で活劇映画『大盗賊(61)』、『リオの男(64)』(どちらもフィリップ・ド・ブロカ監督)に主演して大ヒット。
危険なアクションをスタントマンなしで演じて、 本気の“アクション・スター” としての地位を確立する。
ジャッキー・チェンをはじめとする世界的なアクションスターがファンと自認し、「ルパン三世」、「コブラ」などのキャラ造型にも大きな影響を与えている。
ヌーヴェル・ヴァーグのベルモンド
ヌーヴェル・ヴァーグって何?と言われてキチンと説明する自信はないが、60年代のフランス映画界で起こった、映画を問い直す運動みたいなものか。
フランス語で新しい波を意味する言葉だが、ヌーヴェル・ヴァーグの監督達は、映画の中から文学性や演劇性を取り除いた映画本来の表現を追求した。
その先駆的作品のひとつが「勝手にしやがれ」で、主演がベルモンドだった。
この作品の革新性は、監督のゴダールのたぐいまれな才能によるものと言われているが、その才能のいちばんの功績はベルモンドを主演に据えたことではないだろうか?
ジャン・ポール・ベルモンドというフランスの若手俳優が、まったくサッソウとした感じで登場してきました。(中略)どことなくジャガイモを連想させる顔なので、お世辞にもハンサムとはいえないけれど、モノになりそうな俳優だなとおもって見ているうちにだんだん味をだしていきます。
その味は?といわれると、いかにもヌーヴェル・ヴァーグらしいといったところでしょう。
これは当時映画評論家だった植草甚一さんが1960年の婦人画報に書いた「勝手にしやがれ」の映画解説で、日本公開がこの年の春なので、この作品の映画紹介としては最も初期のものではないかと思われる。
※引用は「映画だけしか頭になかった」(晶文社)より
今となっては、「勝手にしやがれ」は革命的な映画としての評価が定まっているので、カットが飛んだり、編集のつなぎが変だったり、いかにも出たとこ勝負みたいな展開だったりしても、誰も異議を唱えないが、今見てもかなり変なとこの多い映画である。
植草さんも、この文章の中で型破りで変てこな映画と書いている。
それでも、映画の斬新さや天才監督のことよりも先に、当時無名だったベルモンドの話を持ってきたのは、それだけベルモンドの印象が強烈だったからだと思う。
私としても、この作品がヌーヴェル・ヴァーグを知らない世代にも支持されていて、今も名作とされているのは、ゴダールの才気よりもベルモンドの魅力が古びないからだと考える。
反抗的で落ち着きがなくて刹那的で女好き。だけど、愛嬌があって憎めない、そのようなキャラはベルモンドそのもののように見える。とても演技しているようには見えないが、それこそが、演劇性を廃した「ヌーヴェル・ヴァーグらしい」の目指すものなのだろう。
この作品によって、ベルモンドのキャラクターが確立し、それがルパン三世のキャラに受け継がれているのかな?
活劇におけるベルモンド
ヌーヴェル・ヴァーグの顔となったベルモンドは、同時に活劇映画にも出るようになる。
私が最初にベルモンドに接したのが「華麗なる大泥棒」で、その後テレビで「リオの男」と「オー!」を見て、そのカッコよさにすっかり参ってしまった。
この2作は、監督がフィリップ・ド・ブロカとロベール・アンリコ、共演がフランソワーズ・ドルレアックとジョアンナ・シムカス。この時代のフランス映画好きにはたまらない組合せだから、ベルモンド以外の魅力に参ってしまったのかもしれないけど。
というところで、夜も更けてきたので、この続きはまた後日ということで。
ご冥福をお祈りいたします。
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