悟りと葬式(大竹晋)、教養としての世界宗教史(島田裕巳)から「やっぱり仏教だよね❗」
何ひとつ不自由のない王子として生まれた釈迦が、恵まれた生活や人生に苦を感じ、そこから逃れるため出家し悟りを求めた。身分も、豊かな生活も、全て苦と感じた。苦とは単に貧しいとか、痛いとか、住むところもなく、尊厳もないということではなさそうだ。むしろ王侯の生活には、もっと領土を、もっと富を、子孫の繁栄を、敵国の征服を、もっともっとの不満足。あるいは奪われ失いはしないかという不安。
現代社会の私たちは、健全な家庭に生まれて、親や周囲から期待され、教育を完成し、安定し発展する組織に所属して、競争と評価の中、地位と名誉、それなりの富を得て。周りから見れば恵まれた人生。しかし本人にとっては親や周囲からの途絶えることのない成功への期待と圧力、友人であるべき仲間との出し抜き合い、人の失敗を喜び、人の上に立つことへの陶酔。そしてそうしたことへの後ろめたさ。もちろん自らが負け犬になることへの恐怖心。これが苦だ。
大竹晋さんの「悟りと葬式」は、なんて変わった、辛気臭いタイトルかと思ったが、否、本来恵まれた王子が行きすぎた幸せを苦と感じ、心の平安を得るため、諸行無常、諸法無我、一切皆苦を悟ることが仏教であったのに、なんで葬式仏教になったのかということを緻密に確認していく。
佐々木閑さんのブッダ亡き後の仏教で知ったが、ブッダ入滅の後、弟子たちが葬儀を行うことはなかった。阿羅漢となり悟りを目指して涅槃に入ることを目指す比丘たちにとって、意味がない行為。在家の信者が葬儀供養で功徳を積むことで輪廻の中で良いところへ生まれ変わるため聖者を弔うものだと。
大竹さんによれば日本で葬式が仏教の僧侶に担われるのは、平安貴族の権力者が浄土に生まれ変わる願いを助けるため護摩すり僧侶による祈祷が行われ、浄土信仰が高まるにつれてそれが広がり、江戸期に人別帳を寺院が管理する中で家まるごと寺が面倒見るようになり、特に托鉢のみに頼る曹洞宗が経済的収入基盤確立のため積極的に葬儀に関わり、さらに明治以降廃仏毀釈で年貢地など経済基盤を失った寺院が、浄土真宗のように妻帯世襲化し、檀家の葬儀と年季供養で住職が家族子孫を養っていくようになったからだという。儒教による祖先崇拝と孝行の思想も混ざっただろう。
島田裕巳さんの教養のための宗教思想史では、60、70と比較的寿命が短く、まずは死ぬまで生きていこう、というパターンAの人生観と、現代のように80、90、100まで寿命が長く、現役を終えてからの数十年がある、というパターンBの人生観があるという。そしてこれからは不可逆的にパターンBが増えていくという。また地方から東京などに就職して大都市で核家族を営み、あるいはおひとりさまで生きていくという人が多数を占めてきている。長寿で核家族、あるいはおひとりさまにとって、葬式仏教はどういう意味があるのだろう。親の葬儀はずっと昔に田舎でなんとか済ませた。都会で檀家寺もなく、葬儀を営んでくれる子に頼るのは可哀想だ。あるいは近隣に看取って送ってくれる家族もほぼいない。布施や葬儀費用、墓代にお金をかける意味が見つけられない。僧侶なし、火葬、散骨のみの葬儀を自らセットしておくしかない。とすれば、そうしたことに仏教、仏教寺院をあてにすべきなのか?
島田さんはこうした現代に宗教は存在意義を持つのか、と危惧しているがそうだろうか。むしろ長い老後に、現役時代の習い性だった競争や、がめつさや、身勝手や、荒れた心を離れ、平安で安楽な精神状態に辿り着きたいというニーズはますます高まるのではないだろうか?ブッダの教え、原始仏教は、豊かであるが競争社会で戦い抜き、ようやくそこから卒業できたのに、戦場シンドロームよろしく、人を見れば攻撃的になり、失うことに不安な現代の長寿人間にこそ、それを学ぶのに値するのではないか?第二次大戦から80年。現代の先進諸国の戦争を知らない子供達の、豊かであったからこそ不安に過ごすリタイア後という心理状態は、なに不自由なく生きていた釈迦族の王子の癒されたかった苦痛ととても似ている、だから初期仏教の教えは今こそありがたみが増すと思うのである。