中田考さんのことを仏教徒みたいに感じる理由の説明
私は中田考さんと佐々木閑さんを推しとしているが、どちらかというと初期仏教から大乗の唯識や、空の思想、そして実家の宗旨である浄土真宗の関連を読んだりYouTubeで聞いたりして仏教関連雑学を身に着けて楽しんでいる。そうした中で中田考さんはイスラミックステートの事件くらいから読むことになり、同志社一神教センター教授の頃の講演をYouTubeに見つけたり、飯山陽との対談や(この方は強烈な反ハマスだったのだが、ガザの殺戮以降、選挙戦でもあまりこのことに触れないで、触れたら反感買うと思うのだが、ゴマカシの人っぽい)、最近は大著作「神論」とかずっと推しててほとんど読むかYouTubeでフォローしてて、ラノベも読ましていただき、将棋4段並みの実力者で、そしてムスリムだ。
ところが生き様は佐々木閑さんのYouTubeのブッダの生涯に語られる修行者のようだと感じていた。著書「どうせ死ぬこの世は遊び人は皆」など、諸行無常、諸法無我、一切皆空の味わいを感じてきた。全ての所有物を断捨離して、野良博士として布施を求める乞食(こつじき)に近い生活。国民健康保険もやめて病院に行かず、ボルタレンで痛みを散らし、次々著書を著し、死を恐れず、犀のようにひとり進んでいるようだ。尊敬するなぁ。
なぜ中田考さんを初期仏教の修行者のように感じるのか、の答えを宮元啓一さんの「インド人の考えたこと」に見つけた。それはスーフィズムというイスラム教の実践があるとの紹介だ。
スーフィズムはイスラム教がウラマーによって官僚化、形式化、権威主義化することに疑問を感じ、禁欲的で虚飾を廃し、神の名を称名(!)し、内なる神に絶対的に帰依することで神の恩寵が得られると考える苦行者だということだ。称名、苦行、瞑想、乞食遊行、師資相承などインド宗教、仏教に馴染み深い生き方が特徴。ムガル帝国三代皇帝アクバルの時代に、ムガル王朝の宗教だったイスラム教とインド土着のヒンドゥーを平和的に融合しようとしたことから、インドのイスラム教に仏教に共通するインド宗教の伝統が取り込まれた。その後スンニ派が厳しすぎる戒律主義、形式主義に陥る中で、より、イスラム教の本義に近づこうとする人々がこの活動に惹かれていった。ウラマーからは弾圧されることもあったようだが、より信仰の深い純粋な人々として敬意を集め、尊者と言われる人も出た。ガザーリーはこうしたスーフィズムの権威たる大学者で、中田考さんはガザーリーの「イスラーム学知の革命」を翻訳されたり、ラジオトークで「ガザーリーとイスラームを学ぶ」を配信されておられる。まさに日本におけるガザーリーの最高権威であろう。
スーフィズムの内なる神に帰依する考えは、華厳の一人一宇宙、如来蔵、天台本覚思想と共通する。
中田考さんのイスラム教に対する考えは、カリフ以外に国家やあらゆる偶像的権威を認めないものだ。ブッダもまた、バラモン支配によるカーストなど既存の権威を認めず、内省によって解脱を得た。
本人に確かめる術もないが、中田考さんの生き様を見ていると、仏教の苦行者、求道者を彷彿させる、全てを捨ててひとり犀のように進み、真実を求める姿を感じる。そしてガザーリーの権威である。状況証拠からみて、少なくとも阿羅漢の位に達しておられるのであろう。