辛い時に前向きな言葉を言える人でいたい
「なんだか良いことが起きそうだなあ」
僕はテレビに映し出された、その姿から目が離せなかった。
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2018年夏、
24時間テレビのチャリティーマラソンのドキュメンタリー番組を家族で一緒に観ていた。
その年、ANZEN漫才の「みやぞん」というお笑い芸人が161.55kmのトライアスロンに挑む様子に密着したドキュメンタリー番組だった。
いつも笑顔で運動神経が良く、子どもからの支持も高い人気者のみやぞんはこの年のチャリティーランナーにぴったりだと僕は感じていた。
厳密に言えば、
この年はトライアスロン形式で
・泳ぎ(1.55km)
・自転車(60.4km)
・走り(100km)
を24時間でやり遂げるという挑戦にみやぞんは挑んでいたのだが、
コース全長が161.55kmと、歴代のチャリティーランナーの中でも上位に入る距離で、どう考えても大変な挑戦だ。
そして、やはり運動神経が良いみやぞんでも
時折、苦しい表情を浮かべながら、挑戦を続けるほど過酷な挑戦だった。
そんな中、みやぞんは泳ぎと自転車を終え、
最後の種目であるマラソンを酷暑の中、走っている時、しきりにこう呟いていた。
「なんだか良いことが起きそうだなあ」
「楽しいなあ」
その番組を何気なく見ていた僕は、彼の状態と彼の言動のミスマッチさに画面に釘付けになり、思わず声が漏れた。
「そんなわけないでしょ」
その時点ですでに彼の身体はボロボロで、
周りのスタッフにケアされながら走る姿は
誰がどう見ても楽しそうな状況ではないし、
こんな状態でもポジティブな言葉を積極的に口に出しているテレビの中の男に僕は目が離せなかった。
正直言えば、この年の24時間テレビを全て見ていないし、最終的にみやぞんがこの挑戦を成功させたこと以外、はっきりと覚えていないが、
なぜか2年経った今でも、僕はこの時にテレビから流れてきた、この時のみやぞんに勇気をもらっている。
「辛い時こそ、声を出す。
でもせっかく声を出すのなら前向きになれる
言葉を言う。」
当時、僕はテレビを見ながらそんなことを考えた。
それから
どう考えても苦しい状況で、
良いことなんか起きる気配すらしなくても、
嘘でもいいから「これから良いことが起きそう」と言ってみることにした。
無理やり「楽しい」と言ってみることにした。
もちろん、言ったあと、
「楽しいわけないよ、苦しいままじゃん」と思うし、
はっきり言って、
これらの言葉を言えば、瞬く間に良いことが起きるということはない。
だけど、それでも口癖のように唱え続けていると、
「あれ?もしかしてほんとに良いことが起きるんじゃないかな」
「なんだか今、楽しいかもしれない」と自分の心を騙すことができる。
自分の心をコントロールできればこっちのもんだ。
前向きな言葉を唱え続けると、
ネガティブなことばかり考えていた時には一切見えてこなかった希望がかすかに見えてくる。
そういえば、
星野源さんの「くだらないの中に」という歌にこんな歌詞がある。僕の好きな歌詞だ。
「希望がないと不便だよな
マンガみたいに
日々の嫉み とどのつまり
僕が笑えば解決することばかりさ」
希望がなくて、真っ暗な状況は誰だって苦しい。
どこを見渡しても真っ暗だと、どうすればいいか分からず、途方に暮れてしまう。
途方に暮れて、どうしようもなくなって、時に命を絶ってしまうこともある。
しかし、少しでも希望があれば、光があればそこに向かって進むことができる。
進むための方法を考えることができる。
そのために
笑うことができれば、緊張が解けて、心に余裕が生まれるため、物事を前向きに考えられて、辛い状況でも希望が見えてくるかもしれない。
だけど笑いたくても笑えない状況だってある。
だとしたら、少しでも、
何でもいいから声を出してみる。
声が出せたならウソでも前向きな言葉を無理やり口に出してみる。
みやぞんを見習って、僕はそんなことを考えて、ほんの少しだけど行動が変わった。
もちろん、そんなことをしたからって何の効果があるか科学的に説明できないし、根本的な解決にはならないかもしれない。
それでも「辛い状況で前向きな言葉を口に出す」という行為は誰でもすぐ出来る行為でありながら、
自ら実行できる人は少ない。
なぜなら、それを行える人は強い人だと思うからだ。
みやぞんを見て、僕はそう思った。
それならば、
どう考えても苦しい状況で、
良いことなんか起こる気配すらしなくても、
これから良いことが起こる前提で、前向きな言葉を口に出せるような人でいたい。
これから良いことが起こる。
僕はそう信じてやまない。
おわり