最終回でスッキリしないドラマって
こんにちは。
最近ヨガと筋トレにハマり、ハマっている自分に少し酔いしれがちなどんどんです。ヨガと筋トレやらない日々なんて、もう想像できねえなあ〜
ということでヘッダーはヨガ「鋤のポーズ」にしてみました。
さて今週のテーマは「思い出のドラマ」。
しめさばやいたばしほどコンテンツオバケさんでは無い私、そろそろ苦しくなってきました。だけどそんな弱音吐かずにスラスラと文章書ける人に見せたいので、頑張ります。外面から作っていきますよ〜っと
オルトロスの犬
結論先行型が大好きであるので、出し惜しみせずにタイトルで答えを言ってしまう。
ということで、私の思い出のドラマは2009年に放映された、タッキーと錦戸くんダブル主演のTBS「オルトロスの犬」だ。
全ての病気や怪我を治す“神の手”を得たのは、
心の内を誰にも見せない
底知れぬ悪のカリスマ・竜崎臣司(滝沢秀明)。
人を殺す“悪魔の手”を得たのは、
天使のように優しく
繊細な心の持ち主・碧井涼介(錦戸亮)。
決して出会ってはいけない二人。
神と悪魔が出会う時、宿命の戦いが始まりを告げる。
天の選択は果たして本当に誤っていたのか。それとも……!?
出典:TBS公式サイトより抜粋
ざっとストーリーはこんな感じ。
ありがちなようで意外と無いようなドラマだった事もあり、当時小学生の私でも充分に楽しめた。
タッキーカッコイイね、さすがジャニーさんに気に入られるだけあるワァと毎週はしゃぐ母親の横で、1人ハラハラしながら画面を見つめていた。
私はこの歳あたりから「ドラマ」というコンテンツの面白さを理解できるようになったと記憶している。
毎週決まった時間にテレビの前で待機し釘付けで観るようになったドラマは、オルトロスの犬が初めてだ。
故にこのドラマは、私の「大人の階段過程」を語る上で欠かせない。要はこのドラマ自体が「思い出」だ。
が、このドラマが「思い出」になっているのにはもう1つ、大きな理由がある。以下。
えっこれで終わり?の最終回
楽しみに観続けたオルトロスの犬も、遂に最終回。
1週間これだけの為に頑張ったと言ったらさすがに過言だが、最終回前の回はそれほどまでに期待できる展開だった。
しかし最終回……
「えっこれで終わっちゃうの」
母と私は顔を見合せた。
一言で言えば、後味が悪い。
ネタバレになる(説明が面倒だ)から詳細は記さないが、これまでの10回弱で培ってきたストーリーが完全に終結しないような最終回であった。
この類のドラマは世の中に数多く存在すると感じる。
「あの人は結局どうなったん」「結局黒幕誰だったん」「こいつ結局何したかったん」「いやこいつ犯人だったんかい」などなど。
まあつまり、「オルトロスの犬」が思い出になっているのは、「私史上1番スッキリせずに終わってしまったドラマ」だからだ。簡単に言えば皮肉である。
以来、
所謂「スッキリしない」ドラマや、最終回まではめっちゃ面白いのに最後残念なドラマ、どうにかならないのか?そう感じていた。あるプロデューサーの話を聞くまでは。
「観客は移り気」
縁あってドラマや映画の名プロデューサーにお話を伺った際に、その方がこんな事を仰っていた事が印象的だった。
「観客は常に移り気である。ストーリーの答えは観客に出させること。そうすると放っておいても観客の心を虜にできる」
たしかに。
実際に、
私は「オルトロスの犬」の最終回の意図するところ=答えが気になって、色んな人と意見を交換しては思い巡らせて、なんだかんだ楽しんでいたではないか。
私が無知でドラマ作者の術中に嵌っていただけ、と言ってしまえばそれまでである。
が、何にせよ
世の中に存在する「最終回でスッキリしないドラマ」って、結構意図的にそうしてるのかもしれない。という気づきを得られた。
となれば私のやることはただ一つ、
「自分なりのストーリーの答えを探すこと」
ではないか。
「スッキリしない」物語の終止符を自分なりに考えめぐらせ、想像力を膨らませる。自分から術に嵌りにいくのだ。
こんな心構えでドラマを鑑賞すると、きっと今後のドラマの見え方も変わってくるのではないだろうか。そんな事を考えながら、「オルトロスの犬」の最終回に再び思いを馳せた。
おしまい。どんどんでした。
p.s.
散々格好の付く事を書いてしまった。でもやっぱドラマはスッキリと終わって欲しい。プロから与えられた終結を、干し芋貪りながら見届ける方が楽だし楽しいに決まっている。
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