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【映画感想】『栗の森のものがたり』

2024/2/26
@シアターキノ

あらすじ
第二次世界大戦後、イタリアとユーゴスラヴィアの国境沿いにあった「栗の地」と呼ばれる小さな村は政治的緊張と村の貧困によって村民が減少し続けていた。賭博が日課の老いた棺桶職人・マリオは偶然森の中で栗売りの若い女性・マルタに出会う。彼女は大戦から帰ってこない夫を待ち続け、村に住み続けることに嫌気を感じていた。

感想
ビジュアルの青の美しさと丹精さに惚れ込み、今冬一番公開が楽しみだった作品だ。予告でも十分過ぎるほど沁みた映像は、本編でもその美しさを損なうどころか、1カット1カットが絵画として残されていると言われても信じてしまうほど完成されている。どこを見ても柔らかな室内の空気、自然界の凝縮された美しさが誇張ではなく当たり前のようにそこに佇んでいる。素朴な気品と孤独さを纏っているからこそ、あんなにも美しい映画になったのだと思う。

頑固で孤独な老人である主人公のマリオには妻のドーラがいる。咳が止まらず夫であるマリオに辛さを訴えても、相手にされず手遅れになった状態で医者に運ばれてもその医者はまともな薬の一つも出してくれはしない。村を出て何年も音沙汰のない息子に連絡を取ることすらも拒まれ、布団の中でドーラは苦しみながら「地獄へ堕ちな」と呟く。にわかに光が差し、3人組の楽隊がドーラのベッドを取り囲んで軽妙な音楽を奏で始める。どこからともなく羽根が降り、それを見つめる彼女の顔は打って変わって穏やかなものになる。昔確かに存在していた幸せな思い出がにわかに蘇る。
 報われるという言葉では浅はかすぎる気がするが、人生の終わりの瞬間に訪れるその人だけが味わうことのできる幸せは温かくて寂しい。

物語はエピソード同士の交錯、回想の中にさらに回想やフィクションがあるため単純な構成にはなっていない。しかし一方でその複雑さは不親切ではなく、むしろ身を委ねるにはちょうどいい心地よさがある。不在へのわずかな希望、その希望をよすがに立ち現れる人々の願いや思いが全て寓話になって、映像の中で再生される。滅びゆく場所、行く宛のない人や物…そういう終わりゆくものが見せる言葉にならない情念や意思がイメージを漂っていて、森の晩秋の空気を通じて伝わってくる。表層的な美しさ、「美しくしよう」と意図されて作られた美しさとは一線を画す凄みが静かに流れ続けている。また見返したい作品だ。

※2月下旬に観た作品で内容がかなり朧になっているので読みづらい箇所がいくつかあるかもしれない。Blu-rayは絶対に入手したいので見返して気づきがあれば加筆・修正するかもしれないです。

シアターキノにて。著者撮影

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