【異郷日記】4/10/24 私は大丈夫かと心配になった

昨夜11時過ぎたので、今朝の目覚ましは5時にかけたのに、4時前に目が覚めた。一週間して慣れてきたのだろう。

朝から仕事。ついて3分後に電話。同僚から。今日は私と交代する予定だったが、体調不良でこられないらしい。泣きながら、もう有給がなく生活費をはらえないかもと言われ、その上火曜の昼間のシフトなら今日の代わりにできると言われる。え、それ私だ。どうしよう、悪い気持ちになる。どうにかして代わってあげないといけない気がした。

でも代わるなら、今日のシフトということか。そうすると夜の7時まで働くことになる?しかし、それは無理だ。そして、次のワーカーがくるまでの夕方5時?それも無理だ。家人と出かける約束をしていた。

いつもなら素早く次のワーカーを探すが、今日はアクティビティの日でもあり、あまり慣れないワーカーに任せてアクティビティなしになってクライアントをがっかりさせることを恐れたし、レギュラー陣がこれるならいいが、みんな不都合。そして何よりその具体的なシフト交換の申し出で私がターゲットになっていたこと、その同僚が生活費が払えないかもしれない窮状に、すごく責任を感じてしまった。

私がなんとかしなければいけない。自分のキャパを超えたヒーロー化だったんだと思う。
そして、クライアントたちの期待にも応えたい気持ちがすごく強かった。これもヒーロー化だ。

私はゆるかったが予定は予定、があったのにそれを尊重していない自分のせいだと思う。このバウンダリーの弱さだ。これは予定が家人とのもので、いつでも変えられるという馴れ合いや慣習がある。家人との約束は反故にしていいのか。よくないと思う。よく考えたら、他人が私のポジションにいたら。家族と予定があると言ったらそれを犠牲にしなくていいと思い、そう伝えている。しかし、自分がそこにいると、罰してしまう。

自分への過信だ。そんなにいろんなことがいつもできるわけではない。業務的にさばけても、精神的に追いついていない。その自分のキャパや望みの度合いなどの認識が最初に間違うと、全ての判断がずれる。そう感じたよい例だ。

私は嫌だった、残りたくなかった。帰りたかった。ちらりと、シフトカバーしてお金がエクストラになるならいいと言うある意味ではずるいというかちゃっかりした気持ちもあった。しかし、そこに、シフト交換のターゲットにされて、それをできない罪悪感が生まれる。ノーと言えないのは罪悪感だ。

そういうメンタルぐるぐるにはまりこんで、頭がクラクラ、ちょっと脇の汗が増えるほどドキドキしていた。誰かと話したくても、前のワーカーはこの同僚からの電話で飛び起きて疲れた顔で二度寝に入っていた。

本当は、シフト交換のターゲットにされた時に腹が立ったのだろう。なぜならかなり相手の自分中心の申し出だからだ。当日言われてできないことはよくある話だ。それなのに、今思えばだが、たぶん封じ込められた気分だった。最近プライベートで食事にいこうと言われたが、そのプロフェッショナルとプライベートのラインを超えるのが危険な気がして、なんとなくはぐらかしていたが、罪悪感もあるし、はっきり言えない自分をせめてもいて、それでぐるぐるしてしまった。

こういうのを前は内側でなんとかおさめてストップしたり、おさめきれなくてわけもわからないままある意味では我を忘れて人に聞いたりしていた。今日は、自分の中でぐるぐるがあってそれを認識してどうにか考えようとするけどわけがわからなくなって、おさまってないから、ウロウロしたりしながら、その自分の状況をやばいなと感じていた。なんとなく今まであったようで、ない状況になったと思った。とにかくわけがわからなくて、うまく考えられないのだ。昨夜の軽い食事以降何も食べてないのもある。
私は大丈夫なのかと思うほど、頭のぐるぐるが心のぐるぐると一致してるのか、いや、よくわからない。
クライアントたちがエネルギッシュでそれに対応しなければいけなかったのもあると思う。それでぐるぐるとその同僚のシフトの件でプレッシャーや罪悪感にまみれているし、急いで判断解決が必要なのに、クライアントたちへの対応はいつも通り行い、かつこう言う時に限って要求が多い。それに外部からも訳のわからない要求や質問の電話がひっきりなしにかかる。

どんどんと外側からの要求に押され、罪悪感やうまく対応できない無価値観がでて、判断を複数項目考えてくださなければいけない事項が複数あって、うまく考えられなくなった。

起きてきた同僚と話して、
・シフト交換をしてあげたいと思い、できないことを悪く思うのはわかる。でも生活費のことは相手の問題。シフト交換して自分の労働時間を減らす必要はない。
・自分優先、できない時はノーと言って良い。
・予定通り出かけるべき。
・別のワーカーを探せばいい。
・他のサービスに引き取ってもらうよう頼んでいい。
・なんならティーンたちは帰宅して夕方また戻ってくればいい。
というアドバイスがあった。

私は
・シフト交換できない罪悪感、あと助け合いをするべきというプレッシャー、このすごくよいコントラクトも揺るがされるのではという不安
・自分優先とかノーと言う自分の権利が飛んでいた
・予定通りなんて思わず、フレキシブルな家人に甘えていたし、自分と家人を犠牲にしようとしていた。
・別のワーカーを信頼していない、任せられない
・他のサービスに頼む罪悪感とか、どう思われるか気になる人の目を気にする
・クライアントの期待に応えたい

それらの根底には、やはり同僚と三者面談したことが気になっている。それが他の同僚と付き合う上で影を落として心配になる。最近は、その今朝話した同僚からきつい言い方、今までされなかった言われ方などをする気がしているからだ。憶測で話さない方がいいのはわかっているが、人間関係はそういうセンサーが働く。そして、その人の話しやすさも、口の軽さも、自分の良い方向に持っていくやり方も知っている。人の不安に対する時に、私はノーマライズして、よくあることだよと気持ちをあげるようにするが、この人にはその私の不安を、私がわからないうちに背後で何かのチャンスにされている気がする。被害妄想なのかよくわからないほど、いろんな顔を持っている人だ。何より、わたしはこの人はいいところもたくさんあるが、完全に業務のコアの部分を理解していると感じられない。上司がこの人にたくさんの案件を任せているのも気になる。しかし、そんなことを気にしてもキリがないし、憶測が走りそうなのでやめる。強制終了。

私は、業務上でいろんなタスクをどんどんやっていくより、心について話すセッションが好きなのだとしみじみ思う。職場はチームメンバーがたくさん入れ替わった。心理学や社会福祉専攻者が多かった時はとてもセラピューティックだった。しかし最近は若者ワークの専攻者が増えてきて、仕事もタスクにチェックを入れるような感じがある。そんな傾向の変化に伴い、自分の方向性が明確になったこととその職場と自分のずれみたいのも感じる。
入ったときは楽しかったし、タスクもどんどんこなしながも、セラピューティックワークがメインで充実していたな。その時に私を雇用し選んでくれ、上司代理まで経験させてくれた尊敬する元上司はヨーロッパに行ってしまい、そこでもさらに活躍しているようだ。その元上司に会いたいなと懐かしく思った。

どうにかして、すべての電話や問題を片付けながら、クライアントたちに対応し、他のサービスからワーカーが来てくれることになり、二時間延長で帰宅した。

家人とマーケットに行き、すごくいい場所にパーキングできた。サンドイッチ屋により、スモークハム、チェダーチーズ、ピクルスのサンドイッチを頼む。時間はかかったが、とても美味しかった。ピクルスの甘みがすごく効いていた。食べながらすごく脱力した。野菜、果物、米を買い、まだダラダラいろいろみていたかったが、帰宅。

家人のディナーを食べて、夜はまたラインの返事を書いてから寝た。

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