【異郷日記】15/9/24 To doリストとテトリス、がもたらした余裕のバナナバー
朝方、目覚ましより1時間早く目が覚める。身体の感覚に鋭敏になり、自分を労るように身体を丸めて抱え込む。こういう少しのゆとりが大切だ。
今日は10時間のシフトで、ペース配分が大切である。朝からクライアントたちと接することになったが、数時間で各自の予定に入っていった。私は、不思議といつもよりリラックスして働けた。いつもは、クライアントがいない時こそ効率的に働かなければいけないと、一人そわそわしてしまうところがあった。まるで誰かに見られているように。そのざわつきや妄想は、焦らせるだけで意味がない。こういう時こそ、落ちついて優先順位をつける。全てを片付けることはできなかったが、かなり自分のTo doリストにチェックが入ってホッとした。こういうふうに効率的に動くのが好きなので、一気に片付くとスッキリとする。そういえば、ゲームなどはしないがテトリスはやり始めたら止まらない。テトリスで、溜めたブロックを一気に消す快感と似ている気がした。
よくわからないが、熟れきったバナナを無駄にしたくなくて、何かお菓子を作りたくなった。ヘルシーなレシピでバナナバーを作った。あまり上手ではないので
前なら人に胸張って出すのは躊躇われたが、食べたい人が食べればいいと思っている自分がいて、それでいいと思った。
帰宅してからエクササイズをする。植物の水やりなどのルーティン、夕食と明日の朝食づくり。またおじいちゃんと孫の動画を見る。実家でご飯をたべているようで、つけておくだけで安心する。そういえば今日は昔の敬老の日だ。母も高齢者の分類だが、まだまだ若いという感覚がある。昔の今頃が稲刈りの時季だが、昨今はもう8月末に済ませるようで地球温暖化の影響を感じる。稲刈りの後の、精米機が稼働する音を聞きながら寝るのが秋の習わしだった。そしてそんな秋の夜長が好きだった。これは妹とよく話していた記憶の風景でもある。稲刈りをしていた、もうこの世にいない祖父母と父を思い出す。
家人から電話。世界最高峰の周縁にいるが、その様子を19世紀と21世紀の混在と表現していた。発展と自然、いわば明確な貧富の差の表れでもあるだろう。日本にも、そこまで明確ではないかもしれないが、そういうところがあるのかもしれない。歴史のあるところでは起こり得ることかもしれない。慣れきった目には違いが見えない。異邦人である家人が帰宅したら、違いを尋ねてみたい。実家の周りの田圃や、精米機が残る納屋はもしかしたら19世紀に見えたかもしれないからだ。
なかなか動画から離れられなくなったが、眠くなったところでスイッチを消した。
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