【異郷日記】14/9/24 無自覚な怒りと孤独
職場で目が覚めて、少し緊張する。摩擦がある同僚がきて引き継ぎするからだ。いつも通りにしようと思った。カウンセリングで、勝とうとしている深層心理を指摘されたあと、そのことが意識に上がった。勝とうとすると焦るし、自分の側の話だけになる。まずは相手の話を聞く姿勢でいくことを指針にすれば、緊張もほぐれて自分の心の中に凝り固まっているものがゆるむのがわかる。身体もリラックスする。そのあたりの感覚を研ぎ澄ませていた。自分にも非はある。相手がそんなに怒るような事態になってしまった原因に心当たりがないわけではない、なぜなら、私はたぶん、この同僚にそりが合わない姻族を重ねてみていた。本来ならやってはいけないと細心の注意を払っている点だ。しかし、これに無自覚なままでいたことが、私の心の奥底の怒りの深さを示唆している。
必要以上に謝らないのが暗黙のルールのこの国で、そのルールに合わせるか、でも真摯に謝るのか。いつもの私なら、現地ルールは置いておいて、自分流で真摯に謝るの一択だ。しかし、原地ルールにのるのも大切だ。そして、この真摯さと、必要以上に平身低頭になることと、混同していないだろうか。必要以上に謝ったり、自分だけのせいにするのは、問題を作りたくない、人とぶつかりたくない私の保身で、ある意味では凝り固まったプライドといえる。このエゴを捨てるよいチャンスではないか。逆に感謝すべき機会かもしれない。
そんなことを思いながら、支度をして、この同僚は本当に一言交わすだけの引き継ぎをした。同僚はとても怒っているようだった。いつもは玄関で鍵をしててくれるが、今日は自分で閉めた。自分の主張もするが、真摯に向き合わないといけないと思った。でも、ここでいつも陥りがちな、相手の機嫌をとることを主眼にはしたくない。自分と相手のバランスを取るのが目標だ。
帰宅して、一山越えた安心からかなぜか活力にあふれ、家人の友人の古い四駆車に乗って海へ行った。朝早いので、まだ少ないながらも散歩をしている人はいた。土曜の朝から海で散歩をするのはとても素敵な一日の始め方だ。ふと、マーケットへ行こうかと思ったが、朝食も取ってないし、土曜のマーケットは混むし、何より泊まり番明けは今の興奮とは裏腹に疲れている。何枚か写真を撮ってから帰宅した。
朝食をとり、エクササイズして心地よい疲労があった。眠いので、おじいちゃんと孫の生活の動画を見ながらベッドでごろごろする。実家にいるみたいな気持ちになれて、ただその時空が画面の向こうにあるだけで安心する。すごくリラックスする。いつのまにか寝ていた。
家人から電話。富士山と同じくらいの標高の地に到着したそうだ。そんなところで自転車に乗りながらも、高山病にもかからず元気そうだ。画面に青い湖と山が見えた。美しいが、緑生い茂るような場所ではなく、どちらかというと荒涼として自然のきびしさを感じた。餃子を昼に食べるというので、私も餃子にして簡単な昼食。こういうだらりとした気楽さも心地よい。
午後は、外で掃き掃除。蔓が伸びてアーチのようになっている花の花びらが落ちてくる。花粉を吸い込まないようにマスクをしてみるが、くしゃみが始まって、焼け石に水な気がした。掃いて片付け終わった後も、花びらはひらひらと舞い落ち続ける。この掃除もある意味では焼け石に水だ、キリがない。散歩に行こうと決めた。
今日は音楽を聴きながら歩いた。途中で、いつのまにか選んでいた日本の若者のミュージシャンから、その類似のミュージシャンの音楽に変わっていたが、さすがに類似なだけあって、自然な流れの変化で気に入った。その音楽は、90年代生まれの人らしい、クールなファンクなテイストで、なぜか、晩秋の新宿の土曜の夕方を思い出した。賑やかだけど、どこか孤独で悲しい、でもそれを振り払うような喧騒と装飾を求めて歩き続ける。乾いた孤独な夜の始まりと、それをかき消すように明るい何もなかったかのような白けた賑やかさの間で、出たり入ったりを繰り返す。かき消してもかき消してもきえない孤独が横たわる。しかし今、そんなことを思い出しながら音楽を聴いて歩いている私の周りは、その日本の大都会の喧騒とはほど遠い、異国の地方都市にある川の両側に木や藪が生い茂る散歩道だ。聴くだけで、時空を越えられる音楽の力を思い知った。それほど記憶と結びついている。いや、この曲はこの異国で知ったのだが、なぜだろう。それはやはり、この自然に溢れる場所でも、大都会と同じく孤独があるからのような気がする。丁寧に見ると、孤独の種類は違うような気がするが。
帰宅してからも、動画を見つづけた。おじいちゃんと孫から変わり、なんとなくみた元少年院に収監されていた医師の動画で、恩人に臨終を告げる場面があった。私は、自分でも全く想像してなかったが、その瞬間泣き叫んだ。父の臨終を思い出したからだ。これも怒りの一部か。父に怒っているなんて思わなかった。父に会いたかった。父に置いて行かれてしまった気がして、心細いんだと気づいた。その医師は、まだ意識があるうちに、患者と家族にお別れの言葉を促していた。たくさんの親族が自宅に集まり、別れの挨拶をしていた。父もそういう風に送ってあげたかった。父の最後の見送りはできたが、あれもこれもできたのにといろんな後悔がある。しても意味がないとわかりつつも、遠隔からやれるだけのことはやったつもりでいても、やはり再度考えるといろいろとでてくる。
いろんな媒体を見ると、たくさんの言葉があふれている。うなづいたり、なるほどと一人ごちたり、いろいろだが、本当に大切なのは、人の言葉じゃない、自分の言葉で自分の気持ちを表すことだと思う。いろんな人がいて、自分の頭を整理できて、ただそれを示す言葉が見つからない場合はソーシャルメディアはよい場所だと思う。私は、思考の整理もうまくないので時間がかかるし、たくさんの気持ちや感情があふれていて、それが溜まっているし、とても鈍感なところがある。溜まっていると、人の言葉を借りて名前をつけて客観的にみることはできても、その気持ちや感情が完全に出るわけではない。書くと整理されるし、きちんと出てくる。この書くことを通じて出すことがまずは大切だと思う。これまでは人の言葉からピッタリくるものを探すことだけに膨大な時間を費やしていて、自分の内側に光を当てなかったから、余計にそう思う。
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