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短編小説「勝者の価値」

「うさぎとカメ、真の勝利者はどちらか」という題の本を、図書館へ借りに行った。
ある週末の午後、仕事でくたびれた体に鞭打って、私は最低限人前に立てる程度に身なりを整えた。図書館は自宅から徒歩15分ほどの場所にあり、アクセスは悪くない。私は歩く速度こそ遅いものの、散歩は好きだった。
それでも足取りが重いのは、図書館という場所にひどく苦手意識を持っているからだ。
「うさぎとカメ」
大抵の子供であれば知っている、うさぎとカメが競争をするお話だ。自分の能力に胡坐をかいたうさぎよりも、地道な努力を続けたカメが勝利するという教訓的なラストとなっている。
今回私が探している本は、その二匹の戦いをより詳細に考察した評論文である。
私の上司であるうさぎが大層なカメ嫌いで、なぜこの勝負でうさぎが敗北したのか、カメに勝てなかったのかを長く根に持っていた。自身がうさぎであることに誇りを抱いている上司は、この勝負の真の勝利者はうさぎであったと信じて疑わない。そして、部下である私へこの出来事に対する意見を発表するよう指示したのだ。
現代の主権力者はうさぎ族であり、うさぎのために法律が改正され、この国の主要言語はうさぎ語となった。この風潮にうさぎ以外の種族はみな辟易し、国内では激しい反発が起こった。しかし、うさぎ族による強力な制圧を受け、今ではもう諦めの境地にいた。

正直なところ、私にとってこの勝負が正当であったかどうかは既にどうでもいいことだった。
せっかくの貴重な休日だ。こんなにも暖かで穏やかな午後には、家でゆっくりと日光を浴びて、お気に入りの陶器にキャベツを山盛りにして頬張りたい。これほどうさぎ優位な社会で、今更うさぎを贔屓する意見書を作ることなどしたくない。

図書館の入り口ドアの前に立って、ため息交じりに扉へ手をかける。目当ての本は、入ってすぐの中央本棚に飾り立てるように置かれていた。表紙に書かれたうさぎとカメのイラストが印象的だ。
憂鬱な気分で本に手を伸ばす。どうせ読めない。この世界の書物はみな、うさぎ語で書いてある。私はその言語を学んでいない。だから私は図書館に用事などないのだ。
まあ大方、「本当であればうさぎが勝っていた。カメはイカサマか何かを仕掛けたに違いない」とでも書いてあるのだろう。

ーー本を開いた私は、自分の目が正しい世界を捉えられているのか疑った。
紙面には、私の学んだ言語で言葉がつづられていた。読める。この図書館に、私が読める書物が存在していたなんて。きっとこの本は、私と同じ種族が、私の仲間が書いたものに違いない。
時間を忘れて読みふけり、とうとう最後の奥付までたどり着いた。著者名は記されていなかったものの、最後のページに以下の言葉が残されていた。
「この本を読了できた方は、真実を知っているはずです。負けないで」
諦念で冷えきっていた私の心に、一点の灯がともったようだった。
さあ、どんな意見書を書いてみようか。
本を借りてまっすぐ家路についた私は、自分の足取りがやけに軽くなっていることに驚いた。

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