いきものがかり
臨時採用で田舎の学校の特別支援学級の担任をしていた時の話。
私立の高校生を教えていた時には、公立中学校の特別支援学級の生徒の担任になるなんて想像もしていなかった。
着任した学校は、それはそれは田舎の学校だった。
驚きの連続。まさにカルチャーショック!
だけど破天荒私。こういうの待っていました。
もう、毎日が新しくて楽しくて。ワクワク。
下校の放送で「熊が出たという情報があるので、今は下校できません。」っていう放送が流れたり。
体育の授業前に校庭をキジが走り回っていたり。(この時が野生のキジとのファーストミーティング。)
家が山奥にありすぎて電動自転車で通ってくる生徒がいたり。(電動自転車通学許可願なるものが存在する。)
「生徒の忘れ物かな?」と近づいてみると、校舎内に迷い込んだキジが脱出しようと窓ガラスに突っ込み首を折って死んでいたり。(ヒッ!!!!!!っていう声にならない声で3秒思考停止した。)
とにかく、都会っ子の私には(自分で言うなよ)驚きの連続だった。
担任する特別支援学級の生徒たちはとてもいい子達だった。
ネガティブでちょっとのプレッシャーで泣いちゃうニンジン。でも、とっても素直で心の優しい少年だった。知的の遅れはあるけど、魚博士と呼ばれるほど、魚に詳しかった。
ちょっと意地悪で、屁理屈をいうタマネギ。几帳面で、潔癖。作業学習の時間には時間を忘れて永遠に細かい作業を続けることができるスーパー集中力の持ち主。同じ失敗は2度しないしっかり者だった。
能天気で楽天家。そして何よりも、気配りができるピーマン。彼がクラスのムードメーカーで、お兄さん的存在だった。初めてのことにも果敢に挑戦する勇気も持ち合わせていた。
ニンジン、タマネギ、ピーマン(もちろん仮名だけど)彼らの担任を2年間することになった。
学校裏の小川で川エビ(多分ヌマエビという種類のやつ)を捕まえて教室で繁殖させたり、
清掃前のプールでおたまじゃくしを捕まえてカエルにしたり、
畑でじゃがいも、トマト、枝豆、きゅうり、なす、ゴーヤ、ブロッコリー、芽キャベツなど色々な野菜を育てて職員室で売り捌いたり、
その野菜販売の儲けで調理実習(材料の買い物から全て実際に生徒たちにやらせてみた。かなり面白かった。キャベツを買ってくるミッションでピーマンは自信満々に白菜を買ってきた。白菜のお好み焼きも美味しかった。)をして、買ってくれたお礼に先生方に振舞ったりした。
こうやって書いていると、遊んでいただけのように見えるが、ちゃんと勉強もしていた。(その証拠に彼らは志望する高校に全員合格している。)
それは、彼らの担任をして2年目の5月。
同じ学校で美術の講師(生徒数が少なすぎて専任の先生がいなかった)をしていたO先生が、カメの貰い手を探していると言った。
その頃、「教室で今年はトカゲを飼おうぜ!!」と張り切って、網を片手に毎日学校の裏林を探し回っていた私とピーマンはカメと聞いて大喜び。
「カメってトカゲよりもデカいじゃん!!!」
喜び方が小学生並み。デカければよりペット感がある。
しかしその時、ふと、カメって学校で飼えないんじゃなかったっけ?ウル覚えの記憶が頭をかすめた。
サルモネラ菌などのバイ菌がたくさんいるんだったような気がする。
しかも、O先生によく話を聞くと、ミシシッピアカミミガメだという。
おいおい、特定外来種じゃねーか。
いよいよ飼うのは難しい。
まぁ、何もする前に諦めるよりは、一応管理職に聞いてみよう。
何より、ピーマンのあのキラキラした目が眩しすぎた。
管理職に全てを話す。
「うーーん。まあ、しっかり管理できるならいいでしょう。」
え( ˙-˙ )
うそ( ˙-˙ )
いいの( ˙-˙ )?
田舎の大らかさなのか、心の広い校長先生だったのか…
無事に許可がもらえたことをピーマンに伝えると、
「っいよっしゃーーーーーー!!!」とガッツポーズの見本のようなガッツポーズ。ウィキペディアのガッツポーズのページがあるなら模範のガッツポーズとして掲載したいぐらいの見事なものだった。
もちろん、ピーマンが「いきものがかり」に就任。
潔癖のタマネギは最初の頃、新しい仲間を快く思っていなかったが、しばらくすると、みんなで考えた「ロック」という名前を呼びながら、悪口を言うようになった。
「ロックは呼んでもこっちを向かないし、無視してくるから僕もロックのことは無視してやるんだ。」
とのこと。なるほどね、タマネギなりにクラスの一員として認めてくれたみたいでよかったよ。
そして、3月。
私の異動が決まった。
ロックをどうするか管理職に相談した。次の担任がカメを飼えるかどうかも分からないし、私が飼い始めたから私が責任を持って引き取ろうかと思っていた。
すると、管理職が、ピーマン、タマネギ、ニンジンが卒業するまではロックも一緒に居させてあげましょうと。
もし、次の担任が爬虫類嫌いだったら、僕とピーマンで世話をしますよ。と。
えええええええぇえぇ( ˙◊˙ )
なんて良い人なんだ。
仏のような人だった。
そこで、私は彼らが卒業したらロックを引き取ることを約束してロックを残して異動した。
彼らとロックの最後の1年がどのような1年だったのか、そばで見ることができなかったのはとても残念だったけど、次の年の4月、約束通り迎えに行ったロックは一回りも二回りも大きくなっていた。
今は教室ではなく、私の自宅で一緒に暮らしているロック。
何度目かの冬眠を経て、今も元気に、そして益々大きくなっている。
初めて担任した彼らも同じように大きくなっているんだろうなぁ。(カメの成長と一緒にするな。)
ついでに、心の広い仏のような校長先生が昨年度で定年退職されたと聞いた。
あの2年間。
私にとって、とても思い出深く、記憶に残る2年間だった。
彼らにとっても、中学校3年間が思い出深く記憶に残る3年間になっていたら嬉しいなぁと、ロックに餌をあげながらこのnoteを書くことにした。