老人と海
ご縁あって熱海に行ってきた。理由は特段ないのだが、兎にも角にも行ってみたいという気持ちがあり、その気持ちに従った。結果としてとても良い旅となった。私は旅先でよく人に話しかけられる。今回も実にいろんな人たちに話しかけてもらった。少し肌寒かったのでお気に入りの赤いライダースを着ていったのだが、街ゆく人たちが、『お姉ちゃん、その赤い服いいね。かっこいいね。バイク乗るの?』『お姉ちゃん、東京の人だろ?こんな寒い日になんで海に来たの?あったかいもんでもご馳走しようか。』『よっ!!!』(通りすがりに挨拶だけされる)など、他にもたくさん、こう行ったやりとりは私は非常に好きだ。誰もいない土地で、あったこともない人たちとやりとりを交わす。そのやりとりの中に、私は何かいつも、救われる部分がある。得も言われぬ暖かさだったり、人間のその場に生きている感覚、熱量、温度のようなものをまざまざと感じるからだ。コロナを言い訳にして、ここ数年はあまり外へ赴かなかった。だからこそ、自分の中で何かが腐っているような気がした。腐っている、という感覚はいつも、腹に臭い油が溜まっているようなイメージとして現れる。その油が全身を侵し、細胞が死んでいく。いずれ、心臓も、脳も、何もかもが駄目になっていくのだろうな、という感覚を受ける。だからこそ、もっと外へ行こうと思った。あてどもなく、ふらふらとさまようことで何か、私には必要なものが見つけられるのかもしれないという期待に胸を膨らませた。絶望と希望は常に共にある。何事も表裏一体なのだ、改めてそれを知るいい機会となった。熱海サンビーチを眺めていた時、とある老人に話しかけられた。彼は私にこう言った。
老人『お姉ちゃん。どうしたんだい、どうにもあんた、悲しい目をしているようだね。誰か死んだのかい。』
私『そうですね。死んでるか生きてるか、わからない人のことを考えていました。海に来ると、どうしてもね、思い出してしまうんです。私はそんなに悲しい目をしていましたか。』
老人『お姉ちゃんくらいの若い頃は、それの連続だな。出会ったり別れたり、生きたり死んだり、そういうことが割と頻繁に起こるし、それごとに打ちのめされる。そうして自分も死のうか、だなんて考えたりもする。俺くらいになれば、そんなことは慣れっこだからな。そこまでは思わなくもなるけれども、それでも時たま思い出すと風にでも吹かれたくなるよな。』
私『慣れるものなんでしょうか。』
老人『慣れるさ。悲しいぐれえにな。』
私『そうですか。それはある意味で少し、希望なのかもしれませんね。私は熱海はもっと、観光地のギラギラした明るさがあると思っていたんです。でも、土砂崩れのせいでしょうか、実際は違った。この海の潮風が運んでくる哀しみを受けて、街全体が哀しい音楽のように聞こえました。ジプシーって知ってますか?彼らの嘆きの音楽のように、あとは、メキシコの裏路地とか酒場で流しのおじさんが歌っているような音楽に似ているような気がします。海の見える街は、どこかそう言った物悲しさがある気がしています。熱海は、独特のコバルトブルーや、凪いだ白い色のような感じがします。』
老人『ほう。あんた、詩人だな。俺は昔、メキシコに行ったことがあるよ。それこそあんたくらいの歳の時だったかな。もっと遅かったかな。あの街はとにかく太陽がすごい、ジリジリと照りつけてくる。人もみんなその太陽みたいに明るくて強くてな、日本とはえらい違いなんだよ。でもな、どこか、哀しさがあるんだよ。お姉ちゃんのいうような、どこか報われない人の魂みたいなもんがそこかしこに眠って歌っているような、そんな声が聞こえるような気がしてな。俺は夜も眠れなかったよ。』
私『そうなんですか。魂がそこかしこに眠っている、ってすごいですね。メキシコは死者の日もあるし、生と死が入り混じる場所なのかもしれませんね。死んだ人がちゃんと戻ってこれるように、お花で道を飾るんですよね。あの風習はいつも、素敵だなあと思います。私も祖父を思って、彼のお気に入りだったガーベラをよく飾っているんです。ほっとくと迷子になる人だったから。』
老人『そうだなあ。確かにあの国は、そう行ったものがあるのかもしれねえな。鳥が魂を連れてくるだのなんだの、いろんな話を聞かせてもらったよ。もうだいぶん、忘れちまったが、色々思い出すなあ。この話をしたのももう何十年ぶりだよ。あんたに話せてよかったよ。そんな気がする。』
私『そうですか。私も聞けてよかったです。それこそ今回は、ハチドリに導かれてきた旅だったので、まさかメキシコの話が聞けるとは思いませんでした。ありがとうございます。』
老人『ハチドリか、なるほどな。あんた、いい目をしているよ。俺はあんたが好きだな。また来いよ、今度はなんかうまいもんでもご馳走してやるよ。』
私『ありがとうございます。また近いうち、きます。ここは、私を弔う場所です。大切な場所になりました。その時は会いましょうね。』
老人『おう。じゃあな、俺は行くよ。雨降ったり止んだりしてるから、気をつけて帰れよ。あんたのおかげでいい夢が見れそうだ。』
私『よかった。』
そう言って老人はどこかへ行ってしまった。曇り空と、少しずつ荒ぶってくる波間を見つめながら、私は自分の中の哀しみと街全体の纏っている哀しみとに身を委ねた。体全体が耳となり、その美しい調べに溺れていくような感覚を受けた。とても良い時間だった。あれから何時間あの場所にいたのだろう。老人は、私を導いてくれるハチドリだったのかもしれないと、少し思ったりもした。帰り道がわからない私の魂を、拾ってくれたのかもしれない。
東京は闘う場所だ。闘ってばかりいると、自分の中の哀しみがどこかへ行ってしまったのではないかと思うことがある。でも実際は違う。哀しみはしっかりと自分の中にこびりついていて、離れることはない。漂白することもなく、ただありのままに存在している。それを感じることで、自分を改めて弔うことができる。自分を弔うことは、大切なことだ。よく『自分と向き合う』という言葉を聞くが、これは少し違うと思う。自分とは四六時中向き合っているのだ。そもそも向き合うもクソもない。自分は自分で毎時間毎分毎秒付きまとってくるものだろ、と思う。だからこそ自分の中にある哀しみをしっかりと感じ入り、弔う。自分を殺して、葬る。葬って弔う。それができるかどうか、で人生の彩がだいぶ変わってくるのだと思う。自分を殺すとはどういうことかと言われそうだが、言うまでもない。本当の自分を生き切ることだ。本当の望みを思い、それに従って、心に従って生きる。うっかりしていると雑音ばかりを聞いて人の意見に流される。そうではない。自分にしかない頭で考え心で感じ入り、本当の言葉を話す。そうして人と向き合って感じ入り、またたくさんの人と出会っていく。それが人生なのだと思う。自分で自分のレールを敷くな。道はそれてこそなんぼだ。
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