第8段 世の人の心まどはす事、色欲にはしかず。
徒然なるままに、日暮らし、齧られたリンゴに向かいて云々。
今回はみなさんお好きなテーマではないだろうか。それもズバリ、色欲。はい。ここには、この段には、人間の一番の興味は色欲以上にはないと言っている。しかしながらそれは本当だろうか、とも思う時がある。私はよくバーで踊っている。踊る、というのはベリーダンサーとして、仕事で、という意味だ。駆け出しの頃、10年前などは四ツ谷にあったベリーダンスバーでよく踊らせていただき、そこでデビューも果たしていたので兎にも角にもたくさんお世話になった。ダンサーとたくさん喧嘩もし、いろんなものも人も見たな、という感覚がある。人生で初めてタトゥーというものも見たのもこの店が最初だった。若干ハタチ前後の女の子。どのような生い立ちかはあまりよくわからなかったが、最近、いろんな欲望が爆発してついにバーレスクダンスに手を出した、と言っていた。全てを脱ぎ捨て裸同然になってお客さんの前に立っている時、本当の解放を得るのだと言っていた。彼女もいわゆる駆け出しダンサーで、少し仲良くしていたことがある。彼女のうなじには、おどろおどろしいまでにリアルな『瞳』のタトゥーが彫られていた。いわゆる、アメコミに出てきそうなタトゥー。繰り返しになるが、人生で初めてまじまじとタトゥーを見たのはあの時だった。なぜ、このタトゥーを入れたのか、聞くのは野暮だと思ったがせっかくなので聞いて見た。彼女は言っていた。『みんな私の裸を見るでしょう。体を見るでしょう。正直顔なんてあまり見てないし、ダンサーだから中身なんてもちろん見ていない。それでも私は彼らのことをしっかりと見ているのよ。私は見られてもいいし、見られなくてもいい。それでも私自身はしっかりと彼らのことを見たいと思ったの。私の目は前にしかついてない。だから後ろを向いた時にもしっかりと見れるように、ここに彫ったの。そしたら前からも後ろからも、余すことなく見ることができるでしょう。』正直、なんだかあまりよくわからないな、と言った雰囲気だったが今になってこの言葉はよく思い出すことがある。確かに。ベリーダンスも似たようなところがある。言い方が悪いが、なんだ、安いキャバクラか、と踊っていて思う瞬間も多々ある。色気というのは使い方次第でいくらでも変わるのだな、とも思う。安いものになってしまう場合もあれば、高尚なものにもできる。いかようにもできるのが色気であり品性であると思っている。私が目指すのはもちろん後者だ。『アンチポルノ』という映画を見たことがある。監督は園子温。これはある信頼している人にオススメされて見たのだが、これはこれで新しい園イズム的なものが垣間見れて面白いなあと思う作品だった。演劇界隈の人はまちがいなく好きな作品だろう。理解しているかどうかは別として、とにかく見ているうちにだんだんと脳がゲシュタルト崩壊を起こすような感覚に陥ったことを覚えている。裸も出てくる。血の代わりに、絵の具がたくさん出てくる。そして主人公の冨手麻妙がとにかく大声で発狂している、というイメージを覚えている。『処女なのに売女、自由なのに奴隷、憂鬱すぎる日曜日』がキャッチコピー。その中で特に覚えているシーンというかセリフがあって、主人公の京子(冨手)が、『売女になりたいんです!!!』と叫ぶところだった。確かオーディションか何かのシーンで、この、売女になりたい、という言葉を大声で叫ぶ。これを見た時に確か、売女になりたい、と言うのは女ならば誰しもが実はどこかに持っている願望なのではないだろうかと言うことを思った記憶がある。私の敬愛するエヴァ・ペロンも相当に売女扱いされてのし上がった人である。北元を創った皇帝アユルシリダラを産んだオルジェイクトゥクも同じだ。みんな皇帝や大佐に媚を売った、女を売り物にしてのし上がった『売女』として歴史上に名を刻んでいる。今日は新橋を歩いていた。今は、ダンス以外の仕事はない。新橋の雑居ビルに面接に行ったのだが、なんと言うかあの街はまたいろんな気が混じり合っていて実に趣深いなあと思った。面接の内容も内容だったのと、さらには外の陰鬱な天気に呑まれてしまい、気分はあまり良くなかった。『自分は社会から拒絶されている』と言う感覚が強くなってくると私は非常に危うい橋を渡りたくなる。(結局は渡らないが)街を歩きながら、街ゆくサラリーマン、男の人たちを見ながら、この人たちに『一発3万でどうですかね?』とか声をかけて見たらどうなるだろう、なんてことを思ったりもした。いや、3万じゃ安いか、せめて5万は行かないとな。いや、もっと釣り上げて10万とでも行って見て交渉してみようか、などと頭の中で皮算用する。あくまで妄想なのでそこはもうなんでもあり、自由だ。その時にふと、なぜ『春を売る』と言うのだろうと思った。春は、処女の象徴なのだろうか。桜が散るイメージに、いわゆる大人の階段を上ると言うかそう行った儚さのようなものを重ねているのだろうか。今は秋なので、なんだ、春じゃなくて秋でもいいじゃないかとも思ってしまった。冬だと凍えそうだし、夏だと暑苦しそうだな、やっぱり春か秋だな、などと思った。そう考えると秋はなんだかパッとしない。やっぱり春が一番イメージがつきやすく、いいのだろうな、なんてくだらないことを薄ぼんやり考えながら歩いた。話が支離滅裂になってしまったが、最後にとある男友だちに言われたセリフを載せておこうと思う。彼は美容師でちょうど20歳前後の時に交流があった人物だ。私がちょうど呑んだくれていた時代、酒による失敗が多かった時代に彼がくれた、当時の私にとっては強烈だった一言がこれだ。
『セックスよりも楽しいことって、人生でいっぱいあるよ。』
彼は今、どうしているだろうか。
コギト・エルゴ・スム
踊る哲学者モニカみなみ