あれがわたしのヴァイオレンスジャック。
一昨日は、さすがに、死ぬかと思った。何が原因なのかは全くわからないが、咳が止まらなくなり、いつもの「やばいよ~やばいよ~」状態(いわゆる啄木ってる状態)になりそうだったので、なんとか、止めた。市販のセキドメはいい。もっと言うと、セキドメあめが舐めたい。小学生のころ、誰だったかなァ、母か誰かが買ってきてくれたのだ。はっかや生姜などが入った、セキドメあめ。あれを舐めれば、心なしか、咳が止まる。わたしは喘息のアレルギーはない。母は喘息だが、わたしは気管支が広いので(広いから喘息でないわけではないが、、)特段息苦しさという点で、困った記憶はない。どちらかと言えば、弟の方がいつも困っていた。こんな状態になってまで、書くことで落ち着いている自分は何なのだろうか。そこまでしてわたしは、なにかを残したいのだろうか。それはあるとは思うが、とにもかくにも、自分自身の安定するポイントを押さえたいところがある。調子に乗ると、思い知らされる。それに近しいのだろう。わたしは、なにか、調子に乗ったんだ。だから、なんとなくだが、諫められたのだ。ま、そんな日も、あらぁな、ってことにしておこう。死ぬかもしれないと思ったとき、過去のことを思い出した。包丁を手に、叫び狂う、男。その男を前に、どうにかして、なだめようとする女。(俺)そう、昔、一緒に、死んでくれと言われたことがある。最近のテーマがヴァイオレンス、もっといえば、来年にヴァイオレンスをテーマにショーを創りたいと思ったので、この話を書こうと思った。ウム。男は画家だった。わたしもその頃は、絵描き、そしてダンサーでもあった。男は、嫉妬深かった。わたしが誰かと会ったり、誰かと仕事をするのが許せなかったのだろう。被害妄想を掻き立て、いつしかそれは自分自身を苦しめる、足枷となっていた。ある夜、家に帰ると、神妙な面持ちで彼は台所にいた。そうして、油絵の具用の油の瓶を右手に持ち、左手には、見慣れた包丁が握られていた。「もう耐えられない。君といると、俺が、消えて無くなっていってしまう。だったら、一緒に、消えてくれ。俺と一緒に、また、生まれ変わろう。お互いに穏やかな心をもって、生まれ変わろう。そして永遠に、結ばれよう。」正直、ふざけるなと思った。死んでたまるかと思った。なぜわたしが、お前と死ななくちゃいけない。どうにかして、その場を切り抜けようと思った。しかしいかんせん、片手には油、反対の手には包丁、目はかなり充血しており、手も震えている。これは、危ないと思った。わたしは最終手段に出た。その場で服を全て脱ぎ捨て、「殺すなら、殺して。ただし、美しくね。わかってるでしょう、貴方なら。」と、朧気だがそんなようなことを告げた。結果的に彼は、その場で泣き崩れ、そして包丁をわたしに手渡し、わたしは彼を抱き締めた。包丁がなくなれば、こっちのもんだ。ホッと胸を撫で下ろし、とにもかくにも、彼を落ち着かせることに全力を注いだ。刃物を突きつけられると、世界が変わる。それはおそらく、銃も同じだろう。いくら日常で「もう死んでやる」だの「死にたい」だの思っても、そんなものはどこかへ飛んでいってしまう。それもそのはず、目の前には、100%、いや、200%以上のリアルな「死の可能性」があるからだ。わたしが黒帯だったりなにかカポエイラなどの達人だったらば、もっと違う方法があったのだろう。だがしかし、あのときはなにも持ち合わせていなかった。その場で、踊るわけにもいかなかった。何が一番、このひとの心に届くだろうかと考えた。それはやはり、無条件降伏、しかないのだろうなァと思った。無条件降伏、および、無血開城だ。わたしにはなにもない、貴方の前に差し出す、命しかない。それを身をもって表現するのには、裸になることしか残されていなかった。しかしながら、裸になったときは、2つのことが頭を過った。ひとつは、彼が心を開き、そうして事態が丸く収まること。もうひとつは、彼がそのまま逆上し、刃物で腹を裂かれ、2人で一緒にあの世へ逝くこと。正直な話をすると、わたしは「死ぬのは絶対に嫌だ」と、思いながらも、こいつと一緒なら死んでやっても仕方ないかもしれないな、とも感じていた。それは慈悲でも、自殺願望でもなく、ただ目の前に無防備に転がる命をみて、そう思っただけだ。ああ、みんな、同じ命なんだ、と思った。ああ、みんな、そこにただ在る命なのだと、そんなことを思った。あの光景は、10年以上たった今でも忘れない。そんなこんなで無事に生き延び、今日という日を謳歌している。今朝は、我が愛しのナデシコちゃん(通称なでりん)が、新しい葉っぱを芽吹かせていた。一昨日までは双葉だったのに、今日はなんと、4つも葉っぱがついていた。ちょっとチンピラ風の癖強めの子は、相も変わらず癖強めの上向きの葉をつけていた。うれしかった、本当にうれしかった。ああ、こうやって、わたしたちは生きていくのだと思った。生きて生きて、自分の影を踏んでいくのだと思った。命は尊い、という言葉をわたしはまだ、噛み締めて言うことができない。ぼやっとした空気のなか、浮遊しながら呟くことしかできない。でもそれこそが、もしかしたら、本当の影と光の隙間の真実を写すことができるということなのかもしれない。
MINAMI Stevens Photography
あなたとわたし、2人は出逢えた。
光と闇で、絵を描きます。
あなたの物語、聞かせてください。
コトバと写真で、残します。
被写体となってくださる方随時募集中✨
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