魂と理性の一致
昨日の記事「取り戻せたらしたいこと」で、「自分第一で自分が満たされるものを追求していく」「またどこに書いてあったか思い出したら引用しますね」と書いたので、
魂と理性の一致についてかかれた「振り子の法則」シリーズ第2巻から該当すると思われるところを引用します。
今、「自分軸、他人軸」というコンセプトが一般的になっていて、「魂と理性」ではなくても「右脳と左脳」などとして実体験をシェアしてくださっている方もいらしゃるので、知識としては目新しくはないかもしれませんが、昨日引用するって書いたので一応書きますね。
読み返すと、自分が今まで如何に魂をないがしろにして振り子に振り回されて消耗してきたかを再確認してちょっと切なくなりますが、気を取り直してまいりましょう。
引用が長くなっちゃったけど、まとめると・・・
もうすでに1万字を超えているので、これはもう私はnoteにエネルギーを取られていると言っても過言ではないかもしれん。
まあでもそんなに苦痛ではないんだけど。
時間が取られて英語が勉強できないw
ともかく、長くなった引用を読んでくださってありがとうございます。
途中はしょったところは、なぜ人は戦時に残忍になりうるかとか書かれてありました。
ざっくりまとめると、
・人には自分の魂だけがわかっている「自分だけの目的」がある
・その「自分の目的」に向かっているときは、物事がおもしろいようにすんなり運ぶし、たとえ達成までの道のりで苦労があったとしても、それさえもウキウキで楽しめる そして達成したとき超幸せ!
・「自分の目的」にすすめば、必ず喜びと成功がある
・けれど人が「自分の目的」に向かってスイスイ進むのは「振り子」にとって都合が悪い
・それは、人が「自分の目的」ではない「他人の目的」に向かって進むときの、障害てんこ盛りで辛く我慢を強いられしかも達成したところで結果はむなしい、この「ハードで救いのない状態」のエネルギーが振り子の大好物だから
・なので振り子はありとあらゆる方法で人を扇動し、流行や権威で引き付けたり、臆病者!と挑発したり、正義感や同情心をもてあそんだりして、人を「自分の目的」ではない、「他人の目的」へと誘導する
・どんなに苦労して達成したところで、「自分の目的」以外の「他人の目的」の達成の先に幸せが待っていることは決してない。絶対にだ。
・「他人の目的」は「魂の不快」を引き起こすので、魂の快・不快に注意しよう
・不安や重苦しい感じは魂の不快
・少しでも「押し付けられてる」と感じるものは「他人の目的」だ。そこから立ち去れ。
・「自分の目的」を決めないうちは、「手段」について考えてはならない。
・「達成手段」について考えず「目的自体を考えるときのみ」奇跡は訪れる
・人が説教を垂れてくるようなとき、「教えたるわ」みたいなときはたいてい魂に押し入ろうとしている無礼な行為だが、
例外的に人が何かコメントをくれるとかアドバイスをくれるときにポロっと口にしたことは「サイン」であることがあり、魂が「これやで!これやで!」と活気づく場合がある。気が付いてあげて!
・・・そんな感じで、「私がいなきゃ困るだろうから」とか「そんな薄情なことはできないし」「●●に申し訳ないし」「人様に何て言われるか」「あの権威のある人に頼りにされてる私かっこいい」「しんどいけれど、全然楽しくないけど、辛いけど、これを乗り越えれば・・・」みたいな選択と行動の先には、「自分の目的」も幸せもない。
前回も書いたけれど、誰かの世話をすること、それが心から好きで苦にならないときならば可だけれど、それでも、その世話が終わったらやはり自分の目的を探すべきなのです。
「超常戦士ケルマデック」のエピソードを思い出しました
この「振り子の法則シリーズ」では、弱々しくか細い声の「魂」の描写がちょこちょこでてきて、そのいじらしさ愛らしさに抱きしめたくなるのですが、
今のほとんどの現代人の日常の生活は、「魂」をフル無視し、「理性」に従い、「振り子」にぶん回されて「他人の目的」へと自分をすり減らしながら猛進していくもので、人の顔色を窺い無難に無難に他者から求められるあり方で生きた結果、「振り子」にエネルギーをささげ続け、
多くは、死ぬ間際には何の達成感も幸せな気持ちもなく、「人生こんなもんだったか」とむなしく振り返りながら死んでいく。
「振り子」、ほんとにえげつないっす。
そして今の私も、他の人たちと同じ。
この1年かけて、だいぶ「これはないやろ」という理不尽なものはそぎ落としてきたつもりだったけれど、やっぱり「魂」の声を聞けているとはいえず、「自分の目的」を見つけそれに向かえているとはいいがたい。
ところで、この部分をタイピングしていて思い出したのが、ケルマデック氏著の「超常戦士 ケルマデック」という本でした。
この本は、「そんなことあるの?」とにわかに信じがたいエピソードがてんこ盛りなのですが、
冒頭の「はじめに」の、一杯のおいしいコーヒーから始まるとんとん拍子のわらしべ長者みたいなエピソード、
そして「自分がいなければ家族が困るから」と結婚をあきらめていた女性が、ケルマさんのアドバイスに従って少しづつ行動したら、直接家族には働きかけてはいないのに、いつの間にか無理だと思っていた家族の問題が解決していたエピソードなど、
「自分のかぼそい魂の声に耳を傾ける」、「自分の目的に進んでいるときはとんとん拍子にうまくいく」「手段を考えずに目的だけに目をむけて行動すると奇跡が起きる」というゼラント氏のアドバイスに共通するところがあるなと、ふと思い出しました。
またいつか引用として紹介するかもしれませんが、
絶版の「振り子の法則」と違いこちらはまだ書籍が購入可能です。
kindle化はされていないようです。
この本も私は2018年年末には購入していて、
それ以前にある方からいわゆる「ポロっとでたアドバイス」があったことを踏まえて、翌年に本の中の実験を試してみたんだけれど、ダメでした。
振り子によってがんじがらめの状態だったあの当時とは違い、
水風呂リセットで抜け出つつある今なら、いけるだろうか
私も、「明け方の星々のさざめき」を聞くことができるだろうか