北の白い雲 ー癌で死んだ父ー⑱
幼い頃、肉親の死を想って眠れないことがあっただろう。 漠然とした死への不安は人を憶病な日々へ追いつめてくる。 しかし、どうしようもない事実だ。 ありあまる幸福の絶頂にあっても、困窮の巷にあっても、それは確実にやってくる。 だれも逃げきれたものはいないという。 闇雲におそわれていた幼い頃の日々から、いま現実を見つめるときがきている。 死を冷徹にみつめてみよう。 必ず、有意義に生きろと声がきこえてくるだろう。 生きているものの責任はひとつしかない。 悔いなく生きることだ。
<ミニコミ誌」わからん」編集長>
父は、毎日同じ事を繰り返し愚痴っていた。父にとって、未練と執着の日々だった。父は、悲観し卑屈になっていく。いつからか父は、自殺という言葉を口走るようになる。
4月20日、市民病院入院2週間目、体重44.3㎏、入院時より2.3㎏増。
朝、病室を訪れると、「ここを読んでごらん」と父は私に新聞を差し出した。新聞にはこうあった。
身元不明の首吊り死体ーー年齢45~50歳、身長159㎝、灰色の背広を着ており、内ポケットに縫い込まれたネームには、父と同じ名字が印されている。私は正直驚いた。なんと奇妙な記事だろう。年令も身長も父に酷似していた。この2、3日、父はしきりに「死にたい」と言っていただけに、何かが父に警告していると私は感じた。
父が死にたいと思うならそれでもいい。生き延びることよりも死ぬことを父が望むなら、それはそれで仕方ないと思った。
孤独な密室に閉じ込められる放射線治療にしても、一日中流され続ける点滴にしても、どれだけの意味があるのか、私は疑問に感じはじめていた。
延命させることは、父にとってはどうなのだろうか。点滴のチューブからも数々の苦悩からも、父は解き放たれたかったにちがいない。
ある人に、「死を予感したとき、君ならどうするか」と問われたことがある。私は、「自然にふれて、会いたい人に会い、読みたい本を読む」と応えた。けれど、それには肉体苦痛を考えに入れてはいなかった。苦痛に悶えながら、私は私を思ってくれる周りの人たちのことを気づかうことができるだろうか。やはり、父と同じように苦悩するにちがいない。
果たしてどれだけ、父の苦しみを知ろうとしただろうか。
母や私が何を言っても、父には気休めほどにもならない。だから私たちは、父の話を聞くだけで何も言わないようにする。母は父の愚痴に疲れ果てていく。いっさい何もしないで過ごす患者の父を主治医も看護師も持て余していた。
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