北の白い雲 ー癌で死んだ父ーおわりに
幼い頃、肉親の死を想って眠れないことがあっただろう。 漠然とした死への不安は人を憶病な日々へ追いつめてくる。 しかし、どうしようもない事実だ。 ありあまる幸福の絶頂にあっても、困窮の巷にあっても、それは確実にやってくる。 だれも逃げきれたものはいないという。 闇雲におそわれていた幼い頃の日々から、いま現実を見つめるときがきている。 死を冷徹にみつめてみよう。 必ず、有意義に生きろと声がきこえてくるだろう。 生きているものの責任はひとつしかない。 悔いなく生きることだ。
<ミニコミ誌」わからん」編集長>
二十歳過ぎにすすめられ、ミニコミ誌上で、「北の白い雲」という名の連載をしました。
父のがん闘病記であったものの、読み返せば、家族である母と私の闘病記でもあったと思います。
40年前、がんは不治の病と思われていたし、現在のように患者本人への病名告知が普通ではなかった時代に家族として隠し通すという苦悩がありました。
父は痩せこけてもいて老いてみえていたけれど、当時51歳だった父は本当に若かったのだと思います。
父が死を前に、「なぜ私なのか」と呟いたこともはっきり覚えています。
私は結局、看護師にはなれませんでした。ただ、30代の初めに縁あって、医療現場に近い職に就き、30年つとめました。
フェイスブック上で「北の白い雲」の連載について投稿したことがあり、その反響を受けて始めたNote上のエッセイでした。
今春退職した私はその30年と、今回父の再闘病記連載を感慨を持って振り返りました。
与えられたこの機会に感謝致します。
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