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6月30日付地元紙朝刊記事掲載に至る経緯

「コロナで苦境 民泊施設 オフィス分散化 任せて」

「富山の2社 空室生かし 新ビジネス」

6月30日、このような見出しでオレを含む3人の取り組みを伝える記事が地元第一紙の朝刊第四社会面(地域総合面)トップとして掲載された。

記事の中身は、コロナ禍での不要不急の外出制限で客足が遠のいた旅行代理店と民泊業者がタッグを組み、現在空いている民泊施設について、旅行者の宿泊施設という概念を覆し、企業の短期的なサテライトオフィスとして貸し出す、いわばコロナを逆手に取ったプランを作成したというもの。実際に借りる企業と打ち合わせをしている様子が写真付きで大きく取り扱われた。

この記事掲載に至る経緯について記しておきたい。

あれは、5月の母の日イベントを手伝った打ち上げでのこと。

参考記事は↓

https://note.com/monica064/n/n4a9938c0e332

大成功に終わった母の日イベントの打ち上げ。久しぶりに人の役に立った感覚を覚えて人間味を取り戻し、いつもの酩酊状態になったオレは、

「めっちゃ日焼けしたけど携われて良かったわ~。こんな状況でもまた熱意持ってできることやりたいよね~」と、同じ運営スタッフだったM氏に話しかける。

「やりましょう!次はサテライトオフィスプラン!やりましょうよ!」と返され、そこから具体的な話に入った。

M氏が代表を務める会社は県外出張が多いため、万が一社員が取引先でコロナに感染して帰社した場合、濃厚接触者の対象が全社員となり、本社機能がストップしてしまうという懸念があった。第二波が確実に来ると見られている今、コロナリスクを分散するため本社とは別にサテライトオフィスを設けて営業、事務、管理職の選抜チームを作り機能を移転すれば、本社でコロナの感染があっても会社の機能は維持できる。そのリスクマネジメントのシミュレーションをしたいのだという。

サテライトオフィスは、共通の知人であり、同じく苦境に立たされている民泊業のH氏の空いている施設を転用。オレは手配斡旋業者の立場として関わり、M氏の取り組みをモデルケースとして「サテライトオフィスパッケージプラン」を開発して売り込んでいけば、三者ともWIN-WIN、いわば近江商人の「三方良し」の関係になるのではないかという考えであった。

「おもしろそうやん!というか、それ実現したら新聞のネタになりそうやん!」オレは直感で感想を言った。

ネタになると思ったのは、民泊施設のサテライトオフィス転用は県内、いや全国でも初めての取り組みだと思ったからである。また、苦境に立たされている業者同士が力を合わせ、ピンチをチャンスに変えて取り組んでいる点がストーリー性があり、読者に興味と関心を与えることができるとも感じた。

記事となる柱が揃っている。オレは勝手に頭の中で原稿を書き始めた。

記事の主見出しはこうだ。

「県内初 民泊オフィス」

脇見出しはこう。

「コロナ禍での空室を転用 富山市 旅行・民泊業者がタッグ」

リードはこう書きたいなあ。

「コロナで苦境に立つ民泊と旅行業者がタッグを組み、民泊施設をサテライトオフィスとして企業に貸し出す事業を開始する。コロナで一社集中による感染リスクを回避したい企業と、外出自粛によって低稼働が続く民泊施設を旅行業者が斡旋することで、三者にとってメリットがある事業となり、アフターコロナに向けた新たな取り組みとして期待がかかる」

元記者の習性で、面白い話は頭の中で原稿にしてしまうクセがついている。その中でも、9文字か10文字という字数制限で考えないとならない記事の見出しを考える瞬間が一番楽しい。今回は「県内初 民泊オフィス」と韻を踏んだ9文字で迷うことなく出てきた。ということは、これはトップ記事なるぞ、経験則でしかないのだがオレは確信した。

それから三者で打ち合わせを重ね、民泊サテライトオフィス運用開始まで10日を切ったある日、このネタを地元第一紙の記者に流した。発行部数が多いのもあるが、母の日のイベントで丁寧に取材され、大きく扱われたので恩義を感じていたからだ。まあ、2、3日経って反応がなかったら他の新聞社に流そう。そう考えていたが、ネタを流した翌日に電話連絡があり、実際に運用する予定の民泊施設で取材を受けた。既に予定稿を書いて取材に臨み、その上から取材内容をメモ書きする記者。チラ見した原稿の長さから、三段以上の記事になることは間違いないなと感じ取った。

そして、6月30日の記事掲載に至ったのである。オレが訴えたかった「県内初 民泊オフィス」の見出しはニュースバリューに乏しかったのか採用されなかったけれども、リード記事については、最後の部分以外は思い描いた内容に沿っていた。いやいや待てよ、県内初という切り口で書いてもそれなりの記事なったんじゃないか。と、なんだかんだ考えるのがまた楽しい。誰にも理解されない、自分だけの悦に入る部分なのだろう。

今回の一連のきっかけは、やはり母の日のイベントでの意識改革にある。後ろ向きな気持ちでしかなかったが、イベントを通じて「今やれること、思いつくことをやろう」と意識が変わったから、ここまで行動できたのだと思う。記事になった事業を展開したところで、コロナが終息しない限りは本業が厳しいことには変わりはないが、少しでも前へ進み、違った景色を見ていきたい。



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