【マネゴリ経済教室】 投資と投機の認識の違いを理解しよう
今週の日経平均は下落したものの、下げ渋りの展開
来週13日の米CPIと15日のFOMCのイベントを控えてポジション調整の影響もあり、相場は軟調な動きとなっている。イベントによる短期的なボラティリティの上昇を収益機会とする投機にとっては重要なイベントだが、投資にとっては、それほど重要なイベントではない。
現在マーケットが懸念しているCPIやFOMCは、マクロ経済に影響し、個別企業の収益にも影響を及ぼすが、今回のCPIの上昇は、過去に発生した高インフレとは質が違うと認識したほうが良い。過去の高インフレは、民間信用の異常な膨張により発生したが、アフターコロナで発生した高インフレは、このパターンとは違う。新型コロナ規制による実体経済への影響を緩和させるために巨額の財政支出を行った上に、ウクライナ問題がグローバリズムを終焉させ、サプライチェーン問題(供給ショック)を一部で引き起こしたからである。要は今回の高インフレの最大の要因は「政府の債務膨張」により発生したのだ
コロナ関連の財政支出は、世界各国で異常な金額であった。世界で昨年9月時点で約16.9兆ドルもの大規模財政支援が行われた(現在のレートで約2300兆円)。米国に至っては、5回に及ぶコロナ対策で約6兆ドル(現レートで約800兆円)の大規模財政支援を行ったのである。この金額は今まで歴史上最大規模の財政出動である。
過去のリーマンショック時の景気対策は、「金融政策」が中心だった。しかし、こうした金融政策中心の金融緩和は、低所得者層への所得再分配政策としては不十分であり、むしろ、ほとんど効果がない。なぜか?金利の大幅な引き下げがなされても恩恵を受ける金融資産を低所得層は保有していないからである。だから、需要の拡大も思ったほど大きくならず、低インフレ環境が継続した。
しかし、今回の新型コロナに対する大規模財政支援は、低中間所得者層への積極的な再分配政策であった。「現金支給」により、家計の資産増加に繋がったのだ。米国は複数回の給付金で一人当たり約7000ドル(現レートで約95万円)、失業保険は全米平均が613ドル/週のところ、週600ドル上乗せを1年半にわたって特例で行った。月間で約4800ドル(現レートで約65万円)×18か月。このためにコロナ規制解除後に需要が一気に増加したのである。
米国の在庫投資や個人消費が堅調だったので、そのことがよくわかるだろう。米国の家計は、高いインフレ下でも、消費を積極的に行っているからこそ、大幅なインフレ負担があっても米国の消費は依然として堅調なのである。
対応が異常だったので、コロナ規制が解除されると一気に需要が顕在化し、インフレ率が東西冷戦構造が崩壊した1990年代以降では経験したことがないような高インフレとなったのだ。結局、インフレとは需要と供給で決まり、需要不足がこれまでの低インフレを招いていたことが分かるだろう。
積極的に限界消費性向の高い低中間所得者層に流動性、つまり貨幣を供給すれば、需要が大きく増加し、インフレ率を引き上げることは可能なのである。それを見事に証明したのがコロナ・ショックだったのだ。
そのことを理解できれば、日本がなぜ長期デフレ経済に陥ったのかもはっきりと分かるだろう。この国はバブル崩壊に伴う需要不足の状況下で、消費増税や医療費・介護保険などの社会保障費を引き上げ、家計の購買力を低下させ、需給ギャップを拡大させたからである。本当に政治家はリテラシーが欠如しているのかわかる良い例だ。皮肉にも需要を政策的に抑制しておきながら、デフレを問題にする。如何に本質が理解できない国なのかがよくわかる。
しかも、経済リテラシーが欠如している日本政府は、東日本大震災という天災の負担まで国民に押し付けるという狂った対応をした。
コロナ対応に伴う財政支援による流動性供給が大きかったために、金融正常化によるFRBのバランスシートの縮小が行われても、社会全体の流動性の水準は、コロナ前を大幅に上回る水準を維持している。
新型コロナ対応が感染症対策としては異常なレベルだったことが財政支援の規模を大きくした一方で、感染症として新型コロナウイルスは脅威ではなかったことから、コロナ前の正常な状態に向かい始めたことで、需給ギャップが一気にインフレギャップになったのである。
この正常化の過程で一部製品の在庫調整が発生しているのだ。金利上昇による景気悪化が背景ではないからこそ、ISM非製造業景況指数は、予想を上回るほどの水準を維持しているのである。
なら、今年の米国株の調整の背景は何だったのか?原因は市場金利の上昇によるポートフォリオ・リバランスである。金融政策の変更に伴うボラティリティの上昇を期待して投機が売りを活発化させたことで、リスクプレミアムが上昇→リバランスの動きを活発化させたことが今年の相場下落の本質だ。
しかし、相場が下落しようが実体経済は、過去の信用収縮のような悪化とはなっていない。だから、株式価値自体の毀損は、未だに市場では意識されていないのである。
株式価値とプレミアム
株式価値が毀損しない中で株価が下落するとどうなるのだろうか?
【株価=株式価値+プレミアム】という関係からすぐに分かる。特に株式価値は毀損するどころか、減益となっても最終黒字であれば価値が増加する。
価値が増加する中で、株価が大きく下落する現象は、プレミアムが大きく低下していることを意味する。プレミアムは、バリュエーションに影響を及ぼす項目であるため、プレミアムの低下は、バリュエーションの低下に繋がることは分かるだろう。
株式価値が今後も増加を続ける見通しの中で、バリュエーションが低下するのは、割安となることを意味する。この時点で、投機と投資の違いが何故発生するのかがはっきりと分かるだろう。
投機の収益の源泉は、キャピタルゲインなので価格の方向性が最も重要となる。だから、基本戦略はトレンドフォローなのだ。
そして、投機にとって株価変動の見通しを考えれば、プレミアムが低下する、つまりバリュエーションが切り下がる局面は、株価の低下を意味するので、投機の判断では売りとなる。
一方、投資はどうなのだろうか?
投資は、割安な状態で投資し、割高になれば売却するというのが基本戦略である。現状の株価が株式価値に対してどの水準かが重要なポイントとなる。
であれば株式価値が毀損せず、むしろ増加する状況下で、プレミアムが低下し、株価が下落すればどのような判断になるか?
【株価=株式価値+プレミアム】なので、プレミアムが低下し、株価が下落すれば、株価と株式価値のギャップは縮小する。プレミアムの下落が更に大きいと、株式価値を下回るような株価となり、超割安となる。
株式価値の方向性とプレミアムの方向性で投資判断は行われることが分かる。なら、現状の景気減速や後退リスクは、在庫循環サイクルレベルの調整なので、信用収縮リスクは乏しく、株式価値の毀損リスクは乏しい。
この環境下の株価の下落はプレミアムの低下を意味するので、株価と株式価値のギャップは縮小し、投資にとっては割安という判断になるのである。
逆にプレミアムが大幅に切り上がり、株価が大きく上昇する局面は、株式価値と株価のギャップが拡大するので、投資は売却という判断になるのだ。
投機にとってはプレミアムが切り上がる局面は、株価の上昇が期待できるので、買いという判断になる。トレンドが継続するとの期待が大きくなれば、更に買い増しを行う。
このように投資と投機の判断は、全く違うのである。
その違いを理解せず、マーケット変動を投機思考だけで判断するので、投資の捉え方が分からず、投資にとっては好機となっている局面で、多くの個人投資家は逆に収益が大幅に悪化する傾向となっている。
個人的には投機をやるなとは言わない。ただ、投資と投機の違いをしっかりと理解できれば今年のマーケット環境でも十分に投資利益はあげられる。
「政治」・「経済」・「マーケット」を投資視点と投機視点の両方でみることで、マーケットに左右されにくい資産運用は十分可能なのである。だからこそ、マーケットリテラシーの向上は必須なのだ。
投機にとっては売り目線でも、投資にとっては買い目線になる局面だからこそ、ウォーレン・バフェット氏率いるバークシャー・ハザウェイは今年に入って逆に積極投資をしているし、旧村上ファンドのようなアクティビストも、積極的に投資を行っているだろう。
トレンドフォローの投機家の判断と株価と株式価値のギャップを重視する投資家の判断が真逆になる理由が再認識できただろうか?
投資と投機の戦略が真逆になるのは、株式価値が毀損しない経済環境であるということである。リーマン・ショックや日本の90年代バブル崩壊のような株式価値が毀損する局面は、投資も投機も同じ判断となることを忘れないでほしい。それも株価=株式価値+プレミアムという式の意味が理解できれば、その理由は簡単に分かるはずだ。
最後に
OECDの来年の日米の名目GDP成長率は引き上げられていることを理解しているだろうか。米国の2023年の名目GDP予想は+4.1%(実質GDPは+0.5%)、日本は+3%(実質GDPは+1.8%)と予想されている。実質GDP予想は引き下げられても名目GDPは逆に引き上げられているのである。
株式価値は名目値で決まる。本質を理解し、投資思考に徹すれば、目先の投機イベントであるCPIやFOMCは、メディアや投機家が騒ぐほどのイベントでもないのだ。今年も残りわずかとなったが、個人的には着々と上昇相場への下地が出来上がってきたマーケット環境になっていると感じている。来年は相場の跳ねる年になる可能性が高いので是非、リテラシー向上に努め、より良い資産運用を個人投資家の皆様にして頂きたいと心から願っている。