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労働とお金について思う事

時間とお金の話

 今日は、何か一つのテーマについて書くというよりは、最近ふと思ったことを取りとめもなく書いていこうと思う。まあ、敢えて内容を言うとすれば「労働とお金」についてかなと思い、そのようなタイトルにした。

 まずは、お金の話。
 現代人は時間にうるさい。特にビジネスパースンなんかがそうだ。反対に専業主婦なんかはそんなでもない。

 スケジュールを分単位で管理して、「今から30分だけなら空いてる。」とか、待ち時間が数分でもあると、「あ~〇分も拘束された。」と言ってイライラし出す。
 さもいま自分は貴重な時間を割いてあげてるんだと言わんばかりに常に気持ちに余裕がない人が多い。

なぜ人は時間をそれほどまで気にし、気持ちに余裕がないのか?

 では、なぜ人は時間を分単位まで気にするようになってしまったのか?
 それは、つまるところお金が価値を持つ世の中になってしまっているからだ。私は、マンツーマンで中国語を習っていたことがあるが、ある時その中国語の先生がボソッと「私は自分の時間を金で売ってるからね。」と言った。
 その先生とは1年以上の付き合いで、私とは親しく話せる間柄だったから、ポロっと本音が出たんだと思う。まあ、普通は生徒さんの前で言う事ではないことだと思うが、一般的にはそうだよな、と思う。
 特に不特定多数の人に1時間3,000円とか5,000円とかで外国語を教えている外国人の方などは、時は金なりという言葉をもっとも痛感する立場にいるに違いない。

 つまり、ビジネスパーソン、フリーランスの人は時間を気にしすぎ=お金に価値を置き過ぎなのだ。まあ、仕事上ある程度のスケジュール管理は必要だと思うが、気持ちに余裕がなくなるほど時間を気にしなければならない状態もどうかと思う。

 そんな時、時間の価値ではなく、お金の価値についても考えて見る必要があると思う。お金のことを意識するあまり却って人生の質を下げていないだろうか?そのことを、自問自答してみると人生をもっと豊かに生きられるに違いない。

労働の話

 次は労働の話。
 本来働いた対価として賃金を得るのが労働だ。さっきの時間の話とつなげると、労働力の他に自分の自由な時間というのも賃金を得るために捧げているものの一つだ。
 しかし、実際の労働では、時間や労働力の他に精神エネルギーの消耗というのがある。そして、時間や体力と同じく、人間の精神エネルギーというのは有限だ。無限に元気で居られる人なんて存在しない。どんな元気な子どもだって一日中遊びまわっていたら疲れることだろう。

 例えば、同じ9:00~17:00の仕事があったとして、仕事の種類・内容も同じだったとする。しかし、条件が同じでも仕事で消費する精神エネルギーは、職場の環境によってまったく違ってくる。
 
 ある職場だと、仕事が終わったらぐったりして、夜風呂に入るのもめんどくさい状態になるかもしれない。
 
 しかし、あるホワイトな職場だと拘束時間が長くて体力的にも多少疲れるが、精神的な消耗度はそれほど大きくないので、アフターファイブの時間を趣味や資格試験の勉強など自己啓発に使える、ということもあるだろう。

 私は、仕事の負担を考えた時に、体力的な負担や拘束時間というものよりも、この目に見えない所で発生する気疲れとか不安感、緊張感などのストレスの方がはるかに重要であると思っている。
 
 もちろん仕事上多少の気遣いが発生するのは当然だ。
 しかし、現実を見ると仕事をしている間、仕事と直接関係のない所で発生する見えない精神的な負担がオプションとして多すぎると感じる。

 本来の労働の形からすれば、純粋に拘束時間と労働力の対価として給料が支払われるべきである。仕事上必然的に求められる気遣いの他、余計な精神的負担を強いられるべきではない。

 過度に緊張や不安な状態を強いられる職場は健全ではないと思うし、まして仕事が終わった後や休日中も気持ちが落ち着かない、というのは少し異常である。
 だから、精神エネルギーの消耗度は、その職場の健全度を計る上で重要な尺度になると思う。
 それが度を超すといわゆるブラックという職場になるのである。

労働問題に関して最後に思ったこと

 現在、正社員の他にも契約社員、派遣社員、パート・アルバイトと様々な働き方がある。私は、このすべての雇用形態で働いた経験があるが、そこで思ったことを最後に記したい。
 同一労働同一賃金の原則が謳われて久しいが、現実には派遣やパート労働者を使い捨てのように扱う慣習は依然として多く残っている。
 
 コンプライアンスが厳しく求められるようになった現在、明確に法令違反と呼ばれるものは少なくなってきたと思うが、その法の網の目をくぐるような行為が横行していると感じている。

 例えば、私が直近で経験した所で言うと、契約の段階では都合の悪い事実を伏せて、採用されて辞めづらくなった段階で初めて明かしてくる、と言ったことである。
 
 その仕事は、客先に出向いて技術的なサービスを提供するというものだ。
 当初の派遣会社の話では、始めの数日は研修を受け、その後社員などとの同行で客先に向い経験を積んで、晴れて独り立ちして客先で作業をするという流れだった。ところが、実際採用されてみると話が全く違った。研修が終了したらすぐに一人で現場作業を行うと言うのだ。

 また、その現場作業をする際に持参する荷物。工具類やらプリンタやらipadやらでかなり重いものになると予想されたので、同僚の女性の派遣社員がどれくらいの重量になるか尋ねたところ、「5kgもない、大丈夫ですよ。」ということだった。
 ところが、いざ作業道具をまとめて持って見ると明らかに5kg未満ではない。10kg近くあるのではないかという重量だった。
 女性ではそれを背負って移動するのは一苦労という重さである。
 
 そういった懸念点を解消するためにわざわざ契約前にした質問だったが、その辺もうまくごまかして回答するところに会社側のしたたかさというか派遣社員に対する意識の程度を感じた。
 
 こういう細かい部分を後出ししたのは、「どうせ短期の派遣だし都合の悪い事実を多少後から伝えたところで何も言わず働くだろう。」と言う会社側の見えない意図があるように感じた。
 事実その仕事は2か月以内の短期の仕事なので、それくらいの期間であれば多少当初と話が違っても泣き寝入りというか、目をつむって働き続ける人が大半だろう。

 しかし、私はこういう会社の対応一つ一つに納得がいかず、この仕事を研修を受ける前段階で断った。こういう、外から理不尽に課される負担感を無意識に受入れてしまうと後々またこういう目に会う可能性が高い。

 だから、私は例え短期の仕事でも今後の自分のため、また同じような被害を生まないためにも黙認せずにちゃんと意思を伝えた。
 
 日本人は特に、間違ったことでも遠慮したり、相手の迷惑を考えたり、そもそも言い出しづらかったりして黙って受入れることが多い。
 しかし、間違っていることを黙って受入れるということは、単にお人よしとか、従順という言葉だけで片づけられる事でもないのだ。

 自分自身の他、以後そのポジションにつく人がまた同じような目に会うなど、当事者以外の何倍もの人に迷惑をかけてしまう。
 
 従って、ちゃんと自分の意思を言葉で伝える勇気というのはとても大事なことである。

 こういうことは、本人がちゃんと意識しなければ何となくスルーしがちだ。やはり、第三者に教えてもらったり、意見を貰ったりして初めて変だと思うことも多い。
 私も、その事実を他者に相談して、その会社はブラックの可能性が高いという意見を頂き改めて自分の感覚の間違いのなさを認識できた。
 
 一人ではなかなか会社の対応が常識に照らして変かどうかを判断できない微妙な事案も多い。
 そういった現在労働の問題の渦中にいる人のためにも、理不尽な仕打ちを受けた経験などはできるだけ明かし、経験の共有化を図ることが大事であると思っている。

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