自分を縛っているのものの正体
もう6月も終わりですね。
皆さんいかがお過ごしでしょうか?
先日岐阜の叔母と久しぶりに長電話しました。
すると、いつも元気なはずの叔母の声が曇っています。
話を聞くとここ1か月体調を崩した上、
心配事が重なってメンタルもかなり落ち込んでるのに
毎日1000坪の敷地の草取りに追われてヘトヘト。
「大好きな華流ドラマもアニメも全然見る気が起こらない」との事。
叔母の疲労の深刻さが伝わってきました。
<叔母には心身ともに休養が必要だ>
叔母さんだって超人じゃないんだからねと前置きして
「家事、休んだっていいじゃん」
「お昼寝したっていいじゃん」
「庭が雑草まるけでもだれも死なないよ?」
「メンタルが落ち込んでもいいじゃん」
「好きな事だけやればいいじゃん」と声がけしました。
母や叔母も含めてですが、あの世代の人達と話してみると
我慢強く頑張り屋な人が多い印象を受けます。
折角自分だけの時間を持てる年ごろになっても
家族や周囲の人の事を常に心配して
自分自身に優しくすることに慣れていません。
叔母も休む事に強い抵抗感と罪悪感を感じてしまうようです。
(皆忙しそうなのに)「休んで良いのかしら?」とか
(あの人が大変そうなのに)「助けなくて大丈夫かな?」とか
(このご時世なのに)「自分だけ楽しんで申し訳ない」とか。。。
自分自身を縛り付ける考えがよぎって
本当にしたい事、好きな事が分からなくなってしまう。
皆に気を使い「罪悪感」を感じてしまうのは仕方のない事ですし、
決して悪い事ではないけれど
体調を崩すほど他者に尽くすのはどうかな?と思います。
皆の為、家族の為と頑張ってる人に
「ぐーたらしても大丈夫♪」なんて突然言って
戸惑わせてしまっただけかもしれませんが
いつも元気満タンじゃなくても、
ずぼらでも全然平気だよって伝えたかった。
それからもし、今悩んでいる事柄が叔母さん自身の事じゃないなら
悩みの種から一旦距離を置いてみてはどうかと話ました。
悩み事で頭を満杯にしても自分が苦しくなるだけで
何の助けにもならないし、むしろ「大丈夫」と決めて
その後はノータッチで良かったという事も多々ありますから。
筋金入りの心配性の私の場合、悩みの8割は自分由来ではなく
家族や他人の悩みを自分事のように錯覚していたんですよね。
ホント徒労に終わる事が多かったです。
それに気づいてからは
悩んでも仕方がない他者の悩みの渦中に身を投じないと肝に銘じています。
ぶれそうになったら
「その悩み、本当に私のもの?」と自問自答しています。
他者と自分の境界線をハッキリとさせることで徐々に
問題から適切な距離をとる事が出来るようになりました。
これは私なりの自分を労わり守る工夫です。
電話を切る頃、
叔母が「そうだね、今は誰に何も言われないもんね」と
少しだけ休む事を受け入れてくれたようでした。
電話でお喋りしただけですが
叔母が少しでも心の重荷を解いて心身ともに
ゆっくりのんびり出来れば良いなと願っています。