身体に必要なモノは人それぞれ
わたしが小学生ぐらいから、時折、母の健康ブームは巡って来て、色々な健康食品や身体に良いと言われている食品などを、子どもたちにも摂取させたり食べるように仕向けられた。
それらは、それほど問題なく口に入れられるものもあれば、風味や食感が子どもの口には合わず、苦行といえるようなものもあった。
母は母なりに、子どもたちにも健康に良いものを食べさせたいという思いでそうするように勧めていたのだろうけれど、親の心子知らず。わたしたちは、あまりそういうものを食べたくはなかった。食育という言葉はまだ知らなかった。
彼女にも好き嫌いはあり、シイタケやミョウガ、豚骨ラーメンなどは、頑として口にせず、入っているような場合は、他の人の皿にのせていた。
豚骨ラーメンに関しては、親の意向で食卓には上がらず、それ専用のラーメン屋にも大人になるまで行ったことはなかった。
ミョウガについては、風味などではなく、「ミョウガを食べると物忘れがひどくなる」という迷信を信じて、食べたがらなかった。
どちらも食べてみたら、美味しいじゃないか!と思ったものだ。
20代の頃、職場の食事会・飲み会などで、40代の女性上司たちが数人で健康談義をしているのを横目で見た。話題も年齢によるものねと、なんだかキラキラしていないと思ってしまった。
時を経て、自分が健康食品に夢中だった母や健康談義をしていた女性上司たちの年齢に到達する。
そこで、身体のあちらこちらに不具合が出て来た時になってはじめて、彼女たちの気持ちと行動の意味が理解できるようになる。
お母さんがあれほど健康食品や身体に良いというものを摂取することに躍起になっていたのは、子どもには実感できない身体の不具合を抱えていたのだろうなぁ、と。どこがどうだったかは聞いたこともなかったけれど、きっと身体の調子を整えたいという気持ちだったのだろう。
でも、子どもに大人と同じものを摂取させようとしても、同じ不具合がないのだから、必要性を感じていなかったのも無理もないと思う。
子どもには子どもに必要なもの、大人には大人に必要なもの、摂取すべきものや健康状況から摂取を控えめにした方がよいものは、それぞれ異なるものだ。
それは、年齢だけではなく、男女の性別や、人種でも変わるということを今は知った。
それゆえに、自分が良いと思うものを誰にでも薦められるわけではないということも。