月曜日の図書館1 あいさつから始まらない
本を抱えた利用者がゆらゆら漂っている。カウンターのN本さんは内職をしている。気づいているのか、いないのか。意を決した利用者が、カウンターに本をおずおずと置く。
貸し出しですね。N本さんがほとんどささやくように言って、利用者はやっと安心する。正しいカウンターにたどり着いたのだ。貸出券を差し出して、手続きを済ませる。
利用者に本と返却期限票を手渡すと、N本さんはまた、手元の電話帳に目を落とした。背表紙にシールを貼りつけていく。広島は赤い鯉。熊本は辛子レンコン。最近のタウンページは、地域ごとに表紙が違う、とこの前教えてくれた。
番号は059***です。
電話を取ると、いきなりそう宣言される。前置きも断りもない。
こんにちは、お伺いしたいのですが、わたしが予約した本が用意できたかどうか教えてください。
というフレーズがごっそり抜けている。いきなり自分のしゃべりたいことだけをしゃべる。その、相手が理解すると信じて疑わない、まっすぐな姿勢。
あるいは書名だけ口にして、後は無言の人もいる。君たちはどう生きるか。嫌われる勇気。服を買うなら、捨てなさい。
相手は利用者だ。客だ。客が無愛想でも、笑顔を忘れず、言葉を飾り立て、ていねいに接客するのがプロである。
と唱える本は図書館に腐るほどあるが、およそそのような正しい意見は当てにならない。分かりやすくカテゴライズされた事例は、ここでは往々にして用をなさない。
怒鳴り声が事務室の中まで聞こえてきた。びっくりしてカウンターに出てみると、体の大きなおじさんが覆いかぶさるようにして叫んでいる。中日新聞と!朝日の!昭和50年3月!
対応しているS田さんは、相手が場違いの大音量で話していても淡々と、縮刷版で良いですか?と受け答えしている。
単に声の大きさを調節できない人と、大きな声を出してこちらが萎縮するのを見たい人の違いはすぐにわかる。今の場合は前者なので、さしあたり危険はない。そう判断して、いっしょに駆けつけたT野さんと事務室に戻った。
わたしたちのやりとりには何かが欠けている、と思う。あれば会話がなめらかになって、どちらも嫌な思いをしないし、それどころか楽しくしゃべっているかのように見える何か。
一方で、欠けていても許される場所が必要だ、とも思う。社会人だったら、大人だったら、ふつうだったら、できるはずのことができなくても、自分の言葉でしゃべっていい。それを、空気を読むのとは違う方法で分かろうとする人がいる場所。
心配しなくても、噛みつきませんよ。あなたがしゃべるのを、わたしたちは手ぐすねを引いて待っていません。相談されたことに対してだけ、特に何の感情も交えず誠実に応じます。
ひとりのおじいさんが、窓口から十メートルほど離れたところにじいっと立っている。あまりにも微動だにしないので即身仏にでもなろうとしているのかと思ったが、目が合った途端、ずんずん歩いてきた。やっと気づいたな。そう言ってにやっと笑った、口の中には歯がない。こちらが気づくのをずっと待っていたらしい。
話したくてたまらなかったらしいおじいさんは、こちらの反応などおかまいなく、杉原千畝が、昔M区に住んどって、わしの近所なんじゃけど、通学路、今のZ高校まで、どうやって通っとったか知りたいでよ、なんか本ないかね、地図があると一番いいでねー。
十メートル、いやそれより遠い場所から、生身の人間に話しかけたい人が、本当はもっとたくさんいるのじゃないだろうか。