言霊なんて
言霊、ことだま、という言葉がある。言葉には霊的な力がこもっていて、言ったことが現実になる、そんな意味合いで使われている。いいことも、悪いことも、言葉にするとグッと実現可能性が高まってしまう、というのはままあることなのかも知れない。
先日の週末から、一家の具合が悪い。
あまりこういう話題は書かないでいるから、どう書いたらいいのかわからないけれど、下の子の体調不良(見た目は元気だが、胃腸炎になっていた)から、上の子、そして僕と妻が、明確に調子が悪い。端的にいえば、上の子は胃腸炎の症状を呈しているし、大人はお腹が痛い。きっと、普段通り食べると大変なことになるのが分かる、あの感じだ。
僕は、昨日の午前中に仕事で電車に乗っていたとき、普段とは違うお腹の感じがあって、そのあとずっと気分が晴れなかったので、めちゃくちゃ仕事は残っていたけれど、家族の具合も心配だったこともあり午後から休んでしまった。
週末に、妻が仕事だったので、下の子とほぼ一日中過ごしていたから、何度もあった掃除のタイミングで、きっと僕もうつっているだろう・・なんて思いもあって、潔く休んでしまったけれど、あと二日で年度末のやり残していることが終わるのか不安だ。
すると、妻も体調が悪くなっていて、ふたりで週末からの一件であることを確認した。
そんな中で、桜の話題になった。
いつの間にか、満開になっていたのだ。これまで、週末などに咲いてるかなぁ・・なんて近くの川沿いを散歩したり、肌寒い中でコーヒーを飲んだりして、花見をしていたのに、どうしたことか今年は桜が咲いていることの実感がなかった。
昨日、僕が出張先で見た桜はとても綺麗で、バスで移動していたけれど、何か知らない国に来たような、そんな感覚だった。桜って分かるのに、何か知らない花がたくさん咲いているような。
そんな気持ちを、妻も持っていた。きっと体調不良なことも不安を呼び覚ます要因になっているのだと思うけれど、「桜が、怖いくらいに綺麗に咲いていた」と言ったのだ。
それは、僕が感じていた感覚に似ているような気がした。綺麗なのは分かるけれど、素直に受け取れないのだ。知らぬ間に満開になってしまった桜が、僕たち夫婦にはちょっとした不安だった。
ここにも投稿したけれど、卒園に向けて親からのメッセージを考えていたとき、保育園ではいろんな病気をもらってきた、と書いた。でも、胃腸炎はもらっていない、なんて書いていたのを思い出して、言霊のことから書き出した。
上の子にとって、保育園生活は残すところあと2日だけれど、少なくとも今日は園の規定もあるし、本人の表情からも、休ませなければならない。行きたいのに、と呟く気持ちは痛いほど分かる。生まれて初めての”最後”を、感じることは、親としても体感して欲しい。
言霊があるのだとすれば、ちゃんと書いておきたい。
僕の年度末の仕事は、あと二日でちゃんと終わる。
上の子は、明日元気に保育園に行って、みんなとお別れができる。
我が家は、元気に4月を迎え、週末には近所の桜並木で散歩ができる。