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健やかな覚悟みたいなもの #書もつ

本文にはこうあった。

「このお店は、私である」というような存在感を感じることがある。〜略〜「この場所で起こるあらゆることを、私は当事者として引き受けます」という健やかな覚悟みたいなものを、〜

43p 第一章 植物が育つようにお店を作る

植物が、木々が成長していくような、命が育っていくように、お店が育っていくことが、店主であり筆者の願いだった。

植物の性質をお手本にするように、事業計画を手放す決断をして、お店で働くスタッフ一人一人の力を発見し、信じ、感じ取っていく日々の営みは、想像以上に難しそうだ。

ともすれば効率化、コスパ、なんならタイパなんて言葉が闊歩する現代に生きていたら、なんて危うい経営方針なのだろうと思うし、それじゃやってけないよ、なんていつも声をかけられているのかも知れない。

しかし、僕は単なる読者として作品に相対していなかった。

お店に何度となく足を運び、店主である筆者の話を聞き、眼差しを交え、僅かではあるけれど言葉を交わしたことがある。

あるテーマについて、志を同じくする仲間たちと集まって、考えたり感じたりすることを経験したこともあった。

お店に行けばいつでも、自分を見ている他者の気配がある。大きなテーブル、低い天井の半地下の部屋、小上がりのある場所、初めてでも常連でも、そこで過ごすことでお店の一部になることを感じられる。

元気で明るいとか、底抜けに楽しいとか、そういう極端なキャラクターよりも、店に寄り添っている存在感をまとったスタッフたちが、いつも羨ましくなる。

読むたびに、あれのことかな、あの人のことかな、などと考えているし、読めば読むほどにお店で時間を過ごしたくなってくるから不思議なものだ。

子どもと一緒に行けば、周囲の客には騒音になるかもと緊張する。ひとりで行けば、店内が静かすぎると感じてしまうことだってあった。

店主としての筆者の来し方が、いくつも書かれていたけれど、健やかな覚悟のような言葉はある意味では分かりやすい。その人にとっての価値のような、生き方とも言える理想の姿はきっと誰にでもあるものだろう。

そこで、be動詞である。
「何を持ちたいか」、「何をしたいか」ではなく、「どうありたいか」。

68p 第二章 種の話

しかし、自分が分からない、自分の好きなことが分からない時、筆者は他人と関わることを説いていた。それがカフェだったら、もっといいとも加えて。

クルミドコーヒーは、独特だ。

価格がやや高い。すごく美味しいかというと、失礼ながら僕は首を傾げてしまうと思う。そのカフェにいる時間、甘さや香りのようなものを得ているのではなくて、そこにある時間や気配を数えている節がある。

僕はお店に行くと、短い絵本を広げて見たり、文字だらけの本の冒頭だけを読み込んでみたりする。何かを得ようとしているのではなく、そこにいられたことの記憶を作ろうとしているのだと思う。

続・ゆっくり、いそげ
影山知明

査読版だとことわりを入れて、その作品は始まった。完成版は別に作られると書いてもあった。

完結していないような不安定な心持ちは、お店でひとり座っている時のようだ。そして読み終えたとき、いくつもの問いを提示された気分になる。果たして自分とは、どんな存在なのだろうと考える。

そして新刊が、この週末に生まれると聞いて、読み返してみた。この査読版から、いったいどのように広がり、深まっているのか、筆者の言葉に浸りたいと思う。

出会えるかどうか分からないが、読みたい気持ちをここに書き置いておく。


#カフェ #読書 #クルミドコーヒー #文フリ東京39行きたい



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もつにこみ
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