wishのなかにはisがある
月曜日のお昼休みは、ちょっとそわそわするものです。noteの住人にとって、書き手にとって、ひとつの「嬉しいニュース」がもたらされるからです。
誰にでも、というわけではなく、スキを多く集めたら、という条件があります。note界隈では、トロフィーとか、コングラとか呼ばれています。
つぶやきでも紹介しましたが、先週書いた、この話を多くの方に読んでいただき、スキをいただきました。ありがとうございました。
この話は、書き始めた時には「旅の記録」にしようと考えていました。近所へのお出かけでしたが、マイクロツーリズムなんて言葉もあることだし、旅として思い出を残しておこうと思っていました。
ところが、書き始めて少しして、指が止まりました。蛍を見るまでに長く待ったこと、それでも蛍が美しくて感動したこと、僕はそれを書きたかったのだろうかと不安になりました。
予想以上の人数がいたり、予期せぬヨーヨー釣りなどの露店に気後れした“疲れた”思い出のほかに、ただの暇つぶしのために参加した「短冊を書く」という時間に起こった、子の意外な発想を思い出したのです。
普段よりも長くなってしまったのですが、蛍や夜のお出かけという非日常を楽しむ子のことを書けました。
短冊に書いた願い事、については投稿を読んでご確認ください(笑)
後日、その時の思いというか真意のようなものを尋ねてみました。
あの時は、なんであのお願い事だったの?
みんなが喜ぶのがいいから
それは、自分は叶わなくてもいいけど、そのほかのみんなということ?
ちがうよ。じぶんもはいって、みーんなだよ。
じゃあ、"自分の夢”は何?
ん-。わかんない。
このやりとりをしている中で、ある変化が気になっていました。最近、子は「恥ずかしがる」ようになりました。
以前は、物怖じせず、本当に誰にでも声をかけてしまうような性格だったのですが、それが見えなくなって、反対に「恥ずかしいよぉ」ともじもじするようになっていました。
ひょっとしたら、自分の願い事を書くのが恥ずかしいのではないか、ほかの短冊と同じようにみんなに見られるのだとしたら、恥ずかしくて自分の本当のことは書けない、そんなふうに思ったのかも知れないと、ふと考えました。
ほんとうに願い事がない、だけなのかも知れませんが、あの日以来、子は短冊に書くことにブレがありません(笑)
みんなが喜ぶのがいい、自分も含めてみーんな。
美しき自己犠牲、ではなくてちゃんと自分も喜びたい、そんな“あり方”を目の当たりにした気がして、少し驚きました。
この瑞々しい感情を、大事にしたいと思うけれど、親としての僕は楽しめないことばかりを言ってしまっている自覚があります。
こうして、自戒も込めて書いておくことで、子の願い事をひとつでも叶えられたらなぁと思ったりもします。