お忘れ物、ございませんように
そうなのだ。忘れていた。
今日は、いろいろとハプニングが重なって、noteを書くことを忘れていたのだ。
ふだん、僕は朝のうちに投稿することが多くて、そのためには事前に書いておくのだけれど、舞台裏を晒してしまうと、月曜日と木曜日以外は、ほとんど下書きを持っていないのだ。
しかも、今は例の件(ソーサクタイショー)で、書き上げたと思った原稿を、まるっと再構成しているという、大推敲キャンペーン中なのである。事前に読んでいただき、読み手からの視点で読みやすくなったり、どんどこアイデアをもらったりした。
それを、落とし込んでいるというか、書き込んでいるというか。
ともかく、楽しくしようとしている。おそらく事前に読んでもらった方々にとっては、あれは何だったのか・・と思えるくらいに変身させたいと、そんな目論見である。サムネイル名人にも作品を贈ってもらったけれど、タイトルも変わるんじゃないかと、自分のことながらドキドキしている。
ふと気がついたことがある。その、書き上げたものを肉付けしたり、組み替えたり、伸ばしたり縮めたり・・それは、音楽に似ていると思ったのだ。特に、大学生の頃にやっていたジャズのビッグバンドは、まさにそんな感じだった。
楽譜もあるし、なんならお手本の演奏もあるけれど、曲の長さを意図的に変えたり、歌い方(フレージング、アーティキュレーションなどと言う)を自分たちのものに変えたりする。それが当然とも言える環境でもあった。いったん楽譜に書いてある通りに演奏してから、違和感を正したり、もっとカッコいい響きを目指したり、演奏しやすい形に変えたりするのだ。
聞きやすい、と言うのはあまり重視した記憶はないけれど、単に譜面を吹いただけでは表現できない音楽を作ることが、とても楽しかったのだ。だから、上手い人と言われている人は、楽譜通りにキチンと吹けると言うよりも、カッコいい吹き方で表現できている人のことを指すことが多かった。
だから、初めてみんなで合わせてみたときと、本番の舞台上の演奏では、期間にもよるけれど、同じ曲であっても全く違った感じになるのだ。
今僕は、その”全く違った感じ”を目指している。曲は変わらないのだが、印象が変わる。でも、その印象を初めて受ける人の方が圧倒的に多いのだ(練習から付き合ってくれるお客さんはいない笑)。だからこそ、見えないところで、あれやこれや試したいとも思う。締め切りには間に合うように。
と、忘れ物を慌てて取りに戻ってきたのも、家族の協力あってこそ。
(例の件、事前に読みたい方は、ぜひお声かけください。読んでくれた人のご意見を聞くのが、とても楽しいと気がついた今日この頃です。)
最後まで読んでいただき、ありがとうございました! サポートは、僕だけでなく家族で喜びます!