たびとことばと
旅と言葉の相性ってどうなのよ、と思っています。
結論としては、とても相性がいいと思うのです。この記事で言いたいことはそれだけなのですが、もうちょっと書かせてください。
毎週月曜日には旅の記録を書いています。
でも、今日は今年最後の月曜日。来週は、もう来年です。いつもとちがう感じで書いてみようと思ったのです。
旅は例えることも、例えられることもあります。旅の価値観は人それぞれです。行くのが好きだという人もいれば、来るのが好きな人もいるでしょう。
もし、世の中の人がみんな動きたがる旅人だったら、もてなす人が消えて、旅人はいなくなってしまうのではないか、と考えたことがあります。
俳人の松尾芭蕉や、文化人類学者のベネディクトのように、旅をして生きていくのは、定住民族となった多くの人類にとって憧れのような、あるいは蔑みとなる、そんな存在に映るのかもしれません。
彼らの旅の象徴は、言わずもがな、言葉でした。言葉で表すことで、情景や心象が立ち上がり、読み手が受け止められるのです。ただ旅をしてきた、だけでは物足りないのは、先述した憧れや軽蔑のための情報として頼りないからだと思うのです。
そんなことを思いながら書き始めた、僕の旅の記録もいくつも書くことができました。書くたびに思い出すこと、忘れていること、気がついたことを言葉にしています。
いつか、誰かが同じ土地に旅をする助けとして(たいして参考にならない笑)、あるいは旅先での見聞きしたものについて紹介する方法として、記事が書けて良かったです。
いつも思うことは、旅先で経験することは僕にとっては新鮮でも、相手は生活そのものだったりするわけで、違いを楽しむだけじゃなくて、きちんと相手にも幸せになってもらわなきゃなぁと思うのです。
テレビで、現地通貨と換算して「安い!」と連呼する旅番組がありますが、僕は苦手です。とはいえ、旅人になったら、有利なレートで両替したくなったり、価格交渉したりすることはあります(笑)
友人からひとつひとつの旅を大切にしている、と言ってもらったことがあります。たぶん、それは言葉になっているからではないか、と思うのです。もちろん大切にしてはいますが、言葉にすることで証明されると言うか。
考えること、言葉を交わすこと、食べること、そして書く場所があって、旅を言葉に出来ていれば、読み手の旅が思い起こされるはずなのです。僕は、いろんな作家さんの旅のエッセイを読むのが好きで、それはいま書いたようなことが起こるからなのです。
お土産に何を買ったかよりも、帰って何を書くか、そんなことを考えながら帰り道に就きます。
なかなか先行きの不安な今日この頃ですが、今年も良い旅ができました。来年はどんな旅ができるのでしょうか。予定通りに五輪が開催されるなら、行く旅よりも来る旅のほうが増えるでしょうか。
気球に乗ってどこまでも、という歌がありましたね。ここではないどこか、に旅をすることで、”ここ”や”自分”が鏡に映るような感覚を味わってきました。毎週2回、記事を読んでサムネイルを作ってくださるinfocus📷さんとも、旅をしているような感覚です。のらりくらりと寄り道ばかりの旅に、お付き合いいただいて、ほんとうに、ありがとうございました!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました! サポートは、僕だけでなく家族で喜びます!