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楽しさと自信を手に入れた日 #創作大賞感想
地域づくりの一つの方法として、いつでも行ける場所、居場所の存在が必要だとされている。願わくば多世代で、性別も関係なく、さまざまな用途で使えるような場があったとしたら。
顔の見える関係作りが進んで、ひいては地域の繋がりが広く、また深くなる…といった説明文を、繰り返し話していた時期があった。
地域のつながりを強めて、地域全体でケアしていこうという取り組みを国が提唱し、推し進めることを求めた。そんな時期に福祉部門の地域の担当にいたものだから、訳もわからず”場づくり”や”地域の居場所”のようなキーワードに想いを馳せていた時期があった。
しかし、実際には、その実現は到底難しいことだと分かった。物理的な場所、経済的な余裕、何より、”そこにいる人”がいなかったのだ。
僕があの頃、ずっと考えていた”そこにいる人”の張本人のエッセイがあった。地域という大きさではないけれど、学校もまた立派な社会の一部であると思う。
学校の図書室に“いた”、ミーミーさんのエッセイ「誰かいる場所」を読んだ。
初めて図書館に行ったのは、小学生になってからだった。きょうだいたちは、まだ保育園に通う幼児や乳児で、僕はうらやましかった。
図書館を、もっと早く知りたかった。
誰でも、どんな本でも借りることができる場所があるなんて。しかも夏は涼しくて、本を読み続けられるなんて。
そんな気持ちは、学校の図書室にも向けていた。当時の図書室は、なぜだか分からないけれど3年生から貸し出し可能という運用だった。しかも一冊だけ。
借りられないなら、そこで読むだけだと、毎日のように通って読んだ本がいくつもあった。そのなかでも記憶に残っているのは『冒険者たち』という作品だ。
小学校に入る前だったと思うが、その作品を原作にしたアニメ映画があった。ガンバという名のネズミが登場し、仲間たちと一緒にイタチと戦う、そんな内容だった。
個性豊かなネズミたちにワクワクして、恐ろしいイタチの風貌に目をギュッと閉じた。彼らの戦いがうまくいって、生き延びてほしい、子ども心に祈ったものだ。
映像で見ていたガンバたちは、リアルなネズミの挿絵に置き換えられ、光や音が出ない本の世界は、想像力が掻き立てられて、より怖さを感じた。
短い休み時間、早く早くと焦るように読み進め、あんなに分厚い本だったのに、数日で読んでしまった。それは、僕にとって読書の楽しみと自信の両方を得た瞬間になった。
図書室は静かで優しい時間が流れていた。ズッコケ三人組シリーズとの出会いも図書室だったし、かいけつゾロリシリーズも好きだった。本を読むことは時間がかかるけれど、教科書にはない物語に出会うのはとても楽しかった。
ミーミーさんのような人がいる場所に、ふらっと立ち寄って、話したり話さなかったり、気配があることで安心することもあるだろう。学校の中に、そういうフラットな場所があることは羨ましくもある。
まして、子どもたちには先生とも親とも違う図書室の先生は、どんなふうに映っていたのだろう。居場所、なんて定型的な言葉では説明ができない、居心地の良い場所、居ても良い場所、誰かと居る場所だった図書室。
僕も行ってみたかった。
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