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ふつうの暮らし、ふつうの人 #創作大賞感想
タイトルにある色を想像しながら、パステルカラーの世界観かな?・・と思って読み始めたら、全然違った。とある家の話で、とある家政婦の物語。
こんなに厳し目の舞台で、線の細い主人公は大丈夫なんだろうか。どんなふうに、この家が、それとも主人公が変わっていくのだろうか・・不安と期待が混ざる。
作品には、家事代行サービス業で働く女性が描かれている。働く、と言ってもまだまだ経験は浅く、前職の商社時代の仕事内容と比較しがちで、家事代行を軽んじている節すらあった。
せやまさんの「クリームイエローの海と春キャベツのある家」を読んだ。
タイトルにもある春キャベツ・・僕もキャベツが好きだ。結婚当初、キャベツの千切りを、それこそ何かの信仰のように食べていた。夫婦2人の暮らしなのに、キャベツが3日でひと玉なくなるくらい食べまくっていた。
元々は、社会人になってから、野菜の美味しさに気がついて、ただ好きだから食べていた。一日三食すべてにキャベツの千切りがあった。
そんな食生活を支えてくれた妻も、そんなキャベツ教(狂)徒の僕と結婚してしまったことを指して「結婚とは千切りである」と名言を吐いたのは数年前のこと。
特に、春キャベツの時期、キャベツからふんわりと花のような甘い香りがすることがあって、その香りがあまりにも爽やかで甘いので「この香りを、香水にして、身につけたい」と言ってしまったことがあり、その時も妻は引いていた。
いまでは千切りを食べることは減ったものの、キャベツを買うたびに、そんなことを思い出す。
この小説を読み終えた時、無性に千切りのキャベツが食べたくなった。ちょっと強引かも知れないが、千切りには、いくつもの家事が詰まっているような気がした。
家事代行サービス、は最近さまざまな場面で目にするようになった気がする。それまでお金持ちの家庭が利用する「お手伝いさん」的なサービスと考えられていたものが、むしろ家事が回らない家庭で、その分担をお願いするような役割になってきている。料理が得意な家政婦さんがレシピブックを出したりもして。
家事は無限である。それは、各家庭によって違うという意味と、突き詰めれば、どんなことでも家事になるから。とにかく奥が深く、底が見えてこない。やってもやっても終わらない、やってもやっても進まない。いまや、家事を誰それがやるという話題は、それだけで時代遅れな感じもする。
主人公は、依頼主の家事の様子を見ることで、自らの思い込みに気づくことができて、改めて各家庭ごとに家事があることを読み手にも伝えてくれる。それは、読み手にとっても新しい発見になるかも知れない。
僕は家事代行の仕事をしたことも、してもらったこともないけれど、他人の家庭に行って家事などできないと思う。それは、あまりにもプライベートな問題だからだ。家事を変えることは生活を変えることだし、家事を増やすことは自由な時間を減らすことだと思ってきた。
でも、それは違ったのかも知れない。
いつの間にか、僕は主人公になっていた。
それぞれの家庭に家事はあるけれども、同じではない。心地よい居場所ができれば、住んでいる人ができることだけでいいのだ。完璧でなくていいし、誰かの真似をしなくていいのだと。
我が家は、明確には家事を分担していない。だから、できることをやってほしいし、できることしかしない。それでいいんだと思う。
実は、育児休業の期間中、食洗機を使わなくなった。
ふだんは、朝も夜もフル回転なのに、家に誰かがいれば手で洗った方が早いし、気持ちがいいのだ。この2ヶ月程度の間に、何度も手で食器や鍋を洗った。ふだんは週末になりがちな布団干しだって、平日に何度もできるから嬉しくなる。これだよな、と思ったりする。
この作品に出てくる家政婦は、猫でもなければ、スーパー家政婦でもない。ふつうの人だ。そのふつうの人が、ふつうの暮らしをしている。第4章の後半で、涙が溢れてきた。家事をこなせない、家事が終わらない、家事をもっとやらねば・・どこかに僕の思いがあったから。
もし、あなたがふつうの人だったら、この作品をぜひ読んでほしい。
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