半そで・半ズボンの子
小学生のころ、学年やクラスに1人はいたのではないかと思う、半そで・半ズボンの子。僕もその1人でした。今考えても、正気の沙汰ではないし、あんなに寒かったのに何を我慢して、何を犠牲にして、あの恰好を堅持していたのか思い出せません。
でも、少なからず「寒いのに大丈夫?」とか「元気ねー」とか言われるのが、子ども心に響いていたのだと思うのです。
当時から、あまり運動が得意ではなかったので、心理学的な補償のように、自分は半そでで過ごせる子である、というイメージを強く抱いていたのかも知れません。運動では勝てないけれど、半そででは勝てる・・みたいな(なんのこっちゃ笑)。
修学旅行で日光に行ったときも、学校のある場所よりもさらに寒くなっているにも関わらず「涼しい」とバカバカしいことを言っていました。当時の写真を見ても、ひとり半ズボンでしかも足が赤くなっていて、一体何の修業なのか・・と思わざるをえないものです。
中学生になると、制服があるので、長短を気にすることなく過ごせました。寒さもないし、何よりみんなが同じ服を着ていることが、僕にはすごく安心できたのです。
当時、ディベートという討論の方法が流行り出していて、小学校でも中学校でも何度か経験しました。その中で、よくテーマに扱われるのが、服装や制服でした。僕は、きまって制服賛成派にいました。
制服反対派の意見は「個性が無くなる」というものが結構多くて、僕は、服で個性を出す必要性などない、むしろ服を自由にすることでストレスになったり、経済的な負担になったり、なにより面倒くさい、と考えていました。個性を発揮するために服装をこだわるのは、大人になってからでいいと思っていました。今は、制服風の私服が結構出ているというから、制服がない学校でも制服風に登下校するというのは、面白いなぁと思います。
そんなことを考えたのは、この記事に出会ったから。
あの人は個性的だから・・と言った時、それぞれの理解が全く違うことと、さらに「あの人」本人だって、自分の個性が分かっていないものです。個性は、おそらく本人が感じるものではなくて、周囲の人からの評価であると思うのです。
個性的だね・・と言われたとき、ショックなのかうれしいのか、それも人によって解釈が異なるわけです。僕は個性的は誉め言葉だと思っていますが、そうでない人もいるわけで。
半そで、半ズボンの子ども時代、外観は個性的でした。ただ、中身は一般的な小学生だったと思います。
大人になって「個性的」と使う時、僕はその人の外観を見ているのか、それとも内面を見つめられているのか、ちょっと考えたくなる記事でした。
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