今年も、続く、そして生きる
高熱を出してうなされる筆者の枕元で「生活を疎かにするな!」と叱り飛ばした筆者の母親の言葉に、読み手の僕も思わず姿勢を正すような作品でした。
毎週木曜日は、読んだ本のことを書いています。年始に読んだ、エッセイを紹介します。
なんていうか、・・近い・・。そして、・・におう。
そして生活はつづく
星野源
生活することが苦手だと語る筆者のエッセイは、不器用で頼りない人物の悩みの吐露でもありました。このまま読んでいて良いのか、それとも友として笑ってあげるのが良いのか・・真面目に読んでいた僕には荷が重い選択でした。
あまりにも赤裸々に書いてあるもので、読み始めこそドキドキしながら読んでいましたが、きっとテレビで観ていた筆者は氷山の一角というわけで、それって実際の自分にも当てはまることだよなぁと思う、それこそ生活の中身を見ているような心境に。
正直なところを書くと、僕はあまりこの筆者のことを知りませんでした。
テレビに出ているのは知っているけれど、どんな番組でどんな発言をしているのか殆ど知りませんでした。一昨年、とても有名になったドラマで、ようやく姿形を覚えたというか・・。そのくらい、知らない人でした。
だからこそ、表面に見えている氷山の一角は、僕にとってはさらにその一角を見ていたような感覚。作品から受け取るふだんの筆者が、どうしようもなくダメな人間である筆者として描かれていることに違和感すら感じていました。
新年早々、ちょっと不安になるくらいの作品でした。
ただ、読み進めていくにつれて筆者が自分のことを知ってほしい一心で、書いていることが伝わってきました。
家族のこと、小学生の時のこと、恥ずかしい思い出、悔しい記憶、寂しい風景などは、今の筆者を支えてきた存在を伝えてくれます。その支えによって筆者のキャラクターが確立しているのだとしたら、誰もマネできないなと納得させられるわけです。
きっと、noteでこんなに言葉を選ばないエッセイを書いていたら、読み手は少ないのではないかなと思ってしまいました。それは筆者が演劇や音楽などである程度の知名度があって、しかもそういう世界が好きな人は、字を読むことを厭わないというある種の性質に頼った、筆者の自己開示なのかなと思うのでした。
言葉を選ばずに書くと、これだけ自分を切り付けて、血が出てきても、目を背けずに最後まで読み切ったら、それは筆者に認められたような、そんな達成感を覚えるのです。
そんなエッセイ、今まで読んだことがありませんでした。
もしかすると、筆者のファンである人たちはこのエッセイを読むことは通過儀礼として捉えているかも知れません。多くの人が読んだはずなのです。しかし、僕のように、この作品から筆者を知ろうと思うと、ちょっと視点がズレてきそうです。
ただ、終盤で展開される、ひとりを考察することの力強さは、読み手を励ましてくれるし、だからこそ筆者がもつ独特の雰囲気に「それな!」と頷けるのかも知れない・・なんて思いました。
今年も毎週木曜日は、読んだ本のことを書いていきます。メインは小説ですが、ジャンル問わず紹介できたら。誰かの読書を応援する目的で、長い独り言を書く、そんなノリでお送りします。