地獄の沙汰もオチ次第 #書もつ
”寄席”に行ったことはあるでしょうか。
出囃子とともに上手(かみて)から出てきて、あれやこれや喋ったり笑わせてくれて、時間ぴったりに終わり、次の人がまた出て来て・・あっという間に時間が経っています。
寄席というと、落語が代表格ですが大道芸のようなものも切り絵も、漫才も手品もあります。いわゆる”演芸”が集まっている舞台。
以前、よく寄席にいくことがありました。単純に、落語などの噺が面白かったのと、ある意味では即興に近い会場の雰囲気との兼ね合いが面白くて。結婚する前には、妻と一緒にいくこともありました。
落語はそれまで、飛行機に乗った時などにぼんやりと聞くだけでしたが、教養というか嗜みとして知っておきたい気持ちがあって、試しに寄席に行ってみたら、これが楽しくて。
ただ、結婚して子どもが生まれると、寄席に行く時間は無くなってしまいました。しかし、子どもが保育園で借りてきた本の中に、あったのです。
落語が。
毎週木曜日には、読んだ本のことを書いています。
タイトルや表紙は、落語らしからぬ、むしろ恐怖絵本といった趣ですが、読み始めると、その口調や間合い、言い回しは上方落語のそれでした。
じごくのそうべえ
たじま ゆきひこ
調べてみたら、昭和53年の出版でした。とすると、かなり多くの方が触れたことがあるような気がします。僕が生まれたのは昭和57年なので、きっと保育園などで読んでいるはずです。
物語の全編が関西弁で語られており、怖い雰囲気の中にも”間抜け”なエピソードや、面白い展開が用意されていて、笑ったりドキリとしたり、とにかく明るい”地獄での処世術”のような内容でした。
もともと、桂米朝という重鎮の噺家さんが演る「地獄八景亡者戯」(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)を題材にしているとか。(表紙にも小さく書いてありました。)
初めて読んだ時には気がつかなかったものの、落語の台本みたいな文章。
何度か読んでいると、ふだんしゃべることのない関西弁のイントネーションが気になったり、いつしか自分が噺家になったように抑揚をつけることが楽しくなったりしました。
何度も読むから、ストーリーもオチも分かるのに、間の取り方や声の調子で笑わせることができる、怖い地獄にも人情味と人間くささがある(かも知れない)ことで、やっぱり何度も読みたい絵本なのです。
個人的には、落語らしいオチがとても好きなのですが、本来の落語も話を聴きながら、聞き手の頭の中に映像が投影されているのかも知れないと思うのです。
その映像とリンクさせるように台詞をつけて、場面を転換させたり、カメラのように町並の俯瞰から登場人物の表情や心情までクローズアップする話法は、噺家さんの個人差があるのも当たり前なんですよね。
絵本、なだけあってとても印象的な絵で、空想の世界である地獄を、怖いだけでなく、コミカルに描いているように感じました。
お互いの得意を生かして、力を合わせて地獄を乗り切る、そんなチームワークも教えてもらえる、落語の絵本。僕が絵本で落語を読むようになったきっかけの作品です。