公務員・転職組
僕は公務員に転職するまで、公務員って、試験受けて選ばれて、安定してるから辞めずにずっといるんでしょ・・そんなイメージを持っていました。
でも、入庁後に出会う職員と「私も転職経験者です」と話す機会が意外と多く、そのたびに「あなたも“転職組”でしたか」と親近感がわくものです。
実は、転職して公務員になった人、結構いっぱいいるかも・・。
例えば、仕事に関連する民間会社からの”転職組”がいます。建設系だったらゼネコンやコンサルといったカタカナ企業から転職していたりします。僕のように「えっ?前職は引っ越し屋?」というような人だって、たぶんいるはずです。
民間経験者(この言い回し、公務員っぽい)が公務員になると、大きく変化するのは「働きかた」だと思います。
分かりやすいイメージとして、僕自身でも考えていたのは、ブラックな働き方が、ホワイトにぐぐっと寄る・・かも知れません。それぞれの考え方があるのでこんな表現にしましたが、少なくともサービス残業は減るのでは・・という感じです。
とはいえ、公務員だって忙しい。人数は縮小傾向なのに、仕事は多様化の名のもとに拡大路線です。
これは言い訳にも聞こえるかもしれないけれど、民間企業に勤めている人よりも、なんとなく、いや、たしかに社会からの視線は冷たいのです。
僕が、前職を辞めたのは25歳。自発的とはいえ、ちょうどリーマンショックが起きた頃に、無職になってしまいました。そして公務員として働き始めたのは、27歳になる年の春からでした。
公務員といっても、役所の職員から、税務署の人、ゴミ収集車に乗っている人、病院で働く人、学校の先生、保育園の保育士、消防や警察、いくつも職種があります。
いま僕は、役所で働いています。
公務員に興味を持ったのは、地元への貢献ができることと、すべての人を対象にしている仕事だったからでした。
それまで働いていた物流企業は、公的な存在意義のある仕事でしたが、お金を稼ぐことが大前提でもありました。
つまり、引越しや移転などしっかりと作業できるけれど、料金が高く、お金を払える人“だけ”にサービスを提供していたのです。
感覚としては、見積りに行って我が社を選んでもらうのは、3世帯に1人くらい。みんながみんな「ぜひ!」というわけではなかったし、このお客さんはヤバそう・・なんて思うと値段をつり上げて“逃し”たりしたこともありました。
作業だけでなく、いわゆるバックオフィス、事務所の中での仕事は、若い社員がひとりでこなすことも多かったのです。営業の合間に、庶務、経理、作業員との関係づくり、そして作業に駆り出されることも・・物流企業は、正真正銘の「体育会系」でした。
春の繁忙期には、日中に営業と作業を行い、日が暮れて事務所に帰ってきてからデスクワークをこなしていました。気がついたら日付が変わっていることは何度もあったし、休日はほとんどありませんでした。
世の中には、働きながら勉強して公務員になった人もいるのですが、僕には無理でした。とにかく時間がなかったのです。逆説的だけれど、仕事しながら勉強できるんだったら、公務員になろうとは思わなかったでしょう。
だから僕は、公務員に転職するために、まず会社を辞めたのです。働く先は、まだ決まっていなかったし、試験のこともほとんど知りませんでした。
会社を辞めた翌日、すぐに公務員試験専門の予備校に向かい、入学手続きをしました。とにかく心配だったし、お金はあった(笑)ので、フルスペックの講座を申し込んだのはいいけれど、対象科目の講義コマ数は数百もありました。
試験までは、わずか6ヶ月。まずは知識を得るために、とにかく講義を受けました。
入学手続きから数日経って、講義を録画したDVDがどっさり届きました。1日のうち8時間を視聴に使い、ほかの8時間は過去問をやったり、数的処理や経済学の演習(計算問題)をしました。残りの8時間は食事と睡眠の時間でした。
2ヶ月で、300コマ以上の講義DVDを視聴しました。本を読むよりも人の声は心地よく、傾向と対策が見えてくるし、何より講師たちの話が楽しかったことを今でも思い出します。
勉強をはじめた11月から試験前の4月まで6ヶ月間、平日は常に、延べ16時間の勉強を続けました。
もっとやりたくなっても、時間が来たら途中でもその科目の学習を終えました。科目数としては10以上はあったので、次々にやらないと、穴が空いてしまうのです。できなかった分は土日にこなしました。
「公務員試験はセンター試験みたいだよ」なんて前評判を聞いても、まったくイメージがわかないのです。とにかく不安でした。
僕が通った高校は大学付属校だったので、大学に入学するための試験なんてほぼなかったから、センター試験を知らなかったのです。
日頃の成績が悪くなかったこともあって、テスト前にはそれなりに苦労したくらいで、なんとも受験生らしくない呆気ない高校三年生でした。
さて、公務員試験は、5月に入ってから世の中がGWの浮かれた雰囲気のなかで行われる国家公務員I種を皮切りに、6月の最後の週まで毎週日曜日に筆記試験が続きました。
僕が受験したのは、記憶にあるだけで、国家I種、国家II種、裁判所事務官、労働基準監督官、国立大学職員、特別区(東京23区)、地方上級(県庁や市役所)でした。
当たり前だけれど、日程が重複(都庁と特別区、県庁と市役所などがあった)してしまうと、どちらかを選ばなければなりませんでした。
社会人経験者の採用枠が用意されていることもありますが、当時は志望していた自治体の年齢制限が緩かったこともあり、僕は新卒採用枠に手を挙げました。
大卒の学生と同じ地平から、ほんとうにゼロからのスタートでした。
でも、じっさいに受験してみると、どの試験も、“簡単”とは思えませんでした。
毎回緊張し、悩み、迷い、選び、そして諦めていました。試験期間の前、予備校が実施した模試も受け、いくつも試験を受けてきていたけれど、自分の実力なんて結局分かっていなかったのです。
筆記試験に合格すると、さらに論文や面接の試験が続きました。面接は、これまでの社会人経験が活かされて、学生のときの就活のようにガチガチに緊張することはありませんでした。
真面目に勉強した甲斐があって、いくつも内定をもらえました。学生時代、100社以上エントリーシートを書いて、たった1社の内定を得たときとは違いました。
あの時、主体的にやっていると思っていた就活だけれど、当時は「みんながやっているから」と流されていたのかも知れませんでした。自己分析も深めきれず、志望動機もあやふやで、業界研究が足りていなかったのでしょう。そりゃ決まらないよ・・。
もともと、地元貢献したいという意識から公務員を目指していたこともあり、地方上級以外の内定は、万が一の時のお守りのような存在でした。
実際に内定をもらった順番はかなり前後しますが、仮に同時期に内定がもらえたとして、志望順位をつけるならこうでした。
1.地方上級
2.特別区
3.国家II種
4.裁判所事務官
5.労働基準監督官
内定のあと、さらに選考が進んでダメになってしまったところもあります。公務員の試験は名簿制なので、内定をもらうと名簿に名前が載り、自己申告で志望しているところへ選考を申し込んだり、国家なら省庁、特別区なら各区から連絡がきて選考を進めることになります。
どの職種でも、就活と同じように受験生同士が控室で時間を過ごすことがありました。話していて感じたのは、みんなそれなりに勉強してきているけれど、それを超えるような天才的に頭がいいと感じられる人が何人もいたことでした。
これは、地方公務員として働いているから感じられることかも知れないけれど、民間企業を経験して公務員になることは、とても良い順番だと思っている。
言い換えれば、公務員になる前に民間企業で働いていたことは心強い糧になります。月並みだけれど、公務員では得られにくい知識や経験が得られるのです。
民間では当たり前の、コスト意識や顧客満足の考え方は、公務員の世界では「これからもっと重要になる」と考えられています。さらに、民間企業の方が ITなど技術的な進展の恩恵を得やすいのではないかと感じてもいます。
もうひとつ僕が考えているのは「働く体力」は、若いうちに鍛えられる、ということ。
僕にとって、民間企業で働くことは、良くも悪くも、筋トレのような経験でした。日付が変わるまで仕事をしていたり、休みがほとんどなく働いていたことは、当時は相当参っていたけれど、今では笑い話になっています。ひとつの働き方として経験できて良かったとさえ思うのです。
2023年に実施された、民間の教育関連企業による「中学生がなりたい職業」の調査の中で、全体の2位に「公務員」がラインクインしていました。
芸能人や、スポーツ選手を押さえ、目立たないはずの公務員が注目されたのは、なぜなのでしょうか。
もしかしたら、目立たない仕事だからこそ、注目されたのかも知れない、と僕は思うのです。
自分たちの生活が支えられている、街が守られている、誰かの暮らしとその仕事が繋がっている。
そんなふうに見えているのだとしたら、そんな仕事をしてみたいと思ってくれているのだったら、僕は公務員“転職組”として嬉しく思います。
公務員に転職した時の周囲のリアクションは、こちらに。