残している、残されている #創作大賞感想
病院で、病気で、なんなら人が死ぬかも知れないのに、なんという読後感。緻密な設定なのに、軽やかな描写が心地良い。
ひとくちに患者想いと言っても、様々な性質がありそうだけれど、こんな看護師さんいるんじゃないかと思う。そのくらい、物語の周囲の書き込みが“中の人”感があった。
秋谷さんのお仕事小説「ナースの卯月に視えるもの」を読んだ。
視える、という言葉は見るよりも深く、観るよりも集中して見るという意味らしい。もっとも、やや俗っぽい解釈では、目を閉じても頭に像が浮かんでくるものを「視える」と言っているものもある。
これ以上は内容の重要な部分なので書かないけれど、視えるということは、ある種の特殊能力であり、人によっては迷惑な能力でもあるかも知れない。
春に生まれた我が家の赤ちゃんは、上の子たちと違って病院に何度も行っている。命に関わる病気ではないのだけれど、病院の性質からして何度も行かないと、コトが済まないという理由はあるが、均せば週1ペースである。
その週1で通う中で、看護師さんたちの普遍的な仕事ぶりを見ることができた。普遍的と言ったのは、誰でも同じで、ある意味では没個性だけれど、どの人もちょうど良い関わり方をしてくださるというところだ。
時々、この人は赤ちゃん好き過ぎる、みたいな方も見受けるが、全体的に優しく、そして淡白である。とても不思議な感じなのだ。中の人からすれば、それは至極当然の振る舞いだろうけれど、笑わないでほしい。
おそらく、生も死も近くにあるからどちらにも偏らない、仕事という自分軸のようなものがあるのかなと思う。
死にゆくものに対して、生きている人ができることは限られているような気がしていたけれど、この作品ではその考え方に対して、真摯に向き合える存在がある可能性についても教えてくれた。
言葉にできないからこそ、何かを感じ取れるかどうか、そして感じ取った時に何ができるか。それは死が近い者だけでなく、生を受けてまもない我が子のような人に対しても、忘れずに大切にしたい視点だ。
私たちは何もできないから、と諦めるのではなく、最後の最後まで生きることを諦められない登場人物たちに、少し遠くからだが、寄り添うことができて良かった。
これはネタバレだが、それぞれの話がとても心地よい結末を迎えるので、安心して読める。