描かれていたのは平和、かも知れない #書もつ
好きな作家の名前を見つけて、まだ読んでいなかった・・と購入した。ドキッとさせる印象的なタイトルに惹かれて手にしたものの、なかなか開けなかったのは、その分厚さのせいか、それとも歴史への苦手意識からか。
日本における西洋絵画鑑賞の礎を築いたとも言われる「松方コレクション」にまつわるフィクションである・・ことは知っていたけれど、いざ松方コレクションとは何かと問われても答えられなかった。
日本を代表する工業であった造船に関わる会社の社長が、その端緒であったことをようやく知るに至り、もっと早くに読んでいれば、観に行くチャンスが増えていたはず、と悔しさを覚えた。
美しき愚かものたちのタブロー
原田マハ
タブロー・・辞書に当たると「キャンバス上に描かれた絵画」となっていた。作家はアート小説と呼ばれるジャンルが主戦場。この作品でも様々な絵画が登場するが、これまでと違うのは美術館に置かれていないことかも知れない。飾られていない、むしろ飾ってはならない・・そんな皮肉さをも含んだ絵画たちの物語だった。
本作では、松方コレクションと呼ばれることになる収集作品が登場する。コレクションとして日本で公開される月日の長さ・・たどった日々を彷彿とさせるフィクションが、個性豊かな登場人物たちによって紡がれている。
遠い歴史のような、つい先日のような、なんとも頼りない記憶では想像できない過去だけれど、海外の画家たちのタブローが、当たり前に日本で展示されている意味を考えさせられる良作だと痛感した。
コレクションに名を冠する松方により、熱を帯びて集められたタブローたちが、国際情勢の変貌や戦禍を乗り越え、日本の代表となるような美術館に置かれる日までの静かな苦闘が、鮮やかに描かれていた。
今も昔も、美術品はその価値は計り知れない。
名画とか傑作と呼ばれる作品は、世界にひとつ、その時にしか描けなかった、数奇な運命を持つなど、いわばキャンバスの裏側にはさまざまなエピソードが隠れているものかも知れない。
作者の想像力に身を委ねて、その時代を一緒に生きたような視点で物語に没頭できるのは、読み手にとって新しい絵画の知識となるだろう。
どこまでが真実で、どこからが虚構か考えることはあまり意味がなくて、いわゆる「そんな考え方もある」という自由な視座を手に入れることができる。
分からないからこそ、自由でいい。
現代に生きる僕たちは、とても良い時代になった。海外にある名画が、来日してくれるのだから。無生物の絵画が「来日」と言われるのが、擬人化された表現のようで僕は好きだ。
誰かが求め、誰かが祈り、誰かが救われる。
絵を前にすることの喜びと発見は、言わずもがなだけれど、いわゆる教科書でしか見たことのない作品が、実際の大きさ、色彩、そして迫力を持ってして訴えてくることの説得力は、どうも説明がつかない。
美術品が、観られる目的で海を渡ること、それは平和でなければできないことだ。もちろん、ゆっくりと絵を眺めることも、平和でなければできないことだ。そのことを、登場人物が語る場面は、何度も読み返してしまった。
作中に登場するタブローは、その時代を反映していることもあって、印象派の作家が多い。僕が好きなゴッホの作品も、この物語の重要なアイテムとして使われている。(表紙カバーになっているとおり)
今でこそ、色彩は画像でも見られるけれど、当時の状況を鑑みると、現物を目の前にした時の感動たるや想像すらできない。
この作品はフィクションではあるけれど、作品群を守った美しき人たちの存在は嘘ではないだろう。外国で描かれた作品が、日本へ”帰って”きて、日本人にとって重要な文化的資源になっていることを、喜んでくれているはずだ。
美しき愚かものたちが生きた証、その松方コレクション、もっともっと観たい。
昨年の春に、話題になったニュース。ようやくつながった。
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