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祈念館という場所で

8月の前半から半ばにかけて、思い出さなければならない歴史があります。日本が敗戦の決断を迫られた決定的な瞬間とも言われる、広島と長崎への原子爆弾の投下。

僕は、多くのことを本を読んで知ることとなりました。
教科書の作品はもとより、保育園の時に読んで衝撃だった「ピカドン」や、そらいろのくるま、はだしのゲンなどなど、いくつもの本を読みました。そのたびに、悲惨な戦争を知って、怖さを感じるのでした。

あるとき、ふと思い立って広島に向かいました。

朝から動いていた記憶があるので、きっと夜行バスでの旅だったのではないかと思います。現地は、朝から雨が降っていました。秋ぐちの訪問だったこともあって、広島平和祈念公園はほとんど人がいませんでした。

平和祈念館へ。それまで、おぼろげに知っていた広島への原爆投下について、逃げたくなるほどに詳しく、そして印象的に展示がされていました。一瞬で命を奪われてしまった人たちの間を縫うように、生きている人がいて、生き延びた人がいて。当時の水が入っているという水筒などは、その音が恐ろしいとさえ思いました。

原爆ドームは、当時は国の施設だったことを知りました。被曝した建物が残っているのは原爆の記憶を留めるためというのは分かっていたのですが、その経緯や、一体どんな建物だったのか知りたかったのです。いわゆる土木事務所が入っていたのを知って、市役所にある同じような施設を思い、普通の人が大勢無くなってしまうことの怖さを改めて考えました。

広島城は、その城の築城の歴史というよりも、戦時の日本軍の拠点になったことの紹介が主になっていたのが印象的でした。不本意ながら、原爆を投下されて一躍「ヒバクシャのまち」になってしまった広島では、戦争の姿をさまざまな場所で垣間見るような気がしたのを思い出します。

ほかの都市の城も、同じように日本軍の拠点となっていたのかも知れないと思うと、いま世界で起こっている戦争もまた、市民の生活のそばに戦闘があり、文化的歴史的に価値のあるものが、ようやく残っている歴史が失われてしまうようにも感じられます。

小学生の時に、ちょうど12月8日に第二次世界大戦のことを勉強した記憶があり、子どもながらに、数十年前の同じ日に、戦争が始まったなんて、しかもそれが奇襲攻撃だったなんて・・と印象に残っています。

何がどうなって戦争が終わるのか、それは今となっては検証はできないのでしょうけれど、もっとほかの方法もあったのではないかと思ったし、始め方が無作法だったから、その応酬になってしまったような側面もあって、崇高な戦争なんて無いんだと思うのでした。


広島の旅は、そんな戦争の記憶をめぐる旅と、面白いハプニングがあった旅です。誰に聞いても「そんなことある?!」と笑われてしまう、僕らしい引きの強さを感じた話はこちらです。

平和の象徴である鳩をサムネイルにしていただきました。infocusさん、ありがとうございます!なかなか書くことは難しいなと思いつつも、これまで本を読んだり、話を聞いたり、誰かが書いたものによって知っていることって多くあるので、あの旅のことが書けてよかったです。


#思い出 #旅 #夏 #広島 #平和

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もつにこみ
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