あの街の景色と #創作大賞感想
作品に何度となく出てきた地名、ロカ岬をググる。ユーラシア大陸の最西端、ポルトガルのリスボンにあるという。
リスボン・・、そういえば吉田修一の作品にそんなタイトルの話があったかな・・とググってみたら、それは自らの住む街をリスボンに見立てて暮らす女性を描いた「7月24日通り」だった。カレンダーを見て、なにか近いものを感じて、ちょっと心が粟立った。
正直に白状すると、恋愛小説は好きなのだが読むのはちょっと苦手である。経験が圧倒的に乏しいため、何でもかんでも受け入れてしまう。そして、他人の幸せと自分の幸せを比べてしまいがちだからだ。まして、物語と比べるなんて・・と妻には笑われたこともある。
でも、ゼロの紙さんの書いたそれは読んでみたかった。
もしかしたら、知っている街かもと風景の描写をつぶさに読み進めていくにつれ、あの雑多な空気が思い出された。
おびただしい手芸材料のお店の集まりや、おいしい餃子の店、人気のあるとんかつ屋、そういえば楽器屋もこの街にあった。とりわけ、駅ビルの上にある観覧車は印象的だった。
僕たち夫婦は、結婚に際してあの街に通った時期があった。披露宴の招待状などの紙類を、自分たちで作成するため、材料を選び購入していたのだ。
時間や手間はかかるが、コストはかなり抑えられたし、短い準備期間でいろいろな準備をしたので、思い入れのあるイベントになった。僕も妻も両親は健在も健在で、兄弟もいた。
この物語の主人公は、両親の顔を知らなかった。同じような境遇から、施設で一緒に育った人が唯一の肉親のような、大切な存在だった。しかし、その彼が旅に出る。そして、帰らぬ人となってしまった、そんなところから物語が始まる。
読み始めて、恋愛小説の結末って何だろう・・と思った。結末から始まってしまったような、この物語は一体どこへいくのだろうかと不安になった。
不安なのだけれど、温かすぎるほどの日々が描かれている。
人が人を受け入れることが、なんとなく難しくなってきているのは、悲しみたくないからだろうか。
そんなことを思うと、ここに出てくる人たちが楽しさだけでなく悲しみも享受できるような、潔さのような雰囲気をもっていることに励まされる。
主人公はこの先、暮らしていけるのだろうか・・と憂う反面で、主人公たちが年を取ったとき、また同じような人が来るのだろうとも思った。
放っておかない人たちに出会えたことで、主人公は救われたのか・・きっと、オセロのように主人公も放っておかない人になれると思う。
多くの人が、放っておかれたくない人だから。
幸せに生きること、明るく暮らすこと、決まったかたちなどない。
この作品を読み終えたとき、ゼロの紙さんがスキをくださった春先の読書記録を思い出した。そうだそうだ、確かに少し似ている物語だったかも、と思いつく。
その作品には手紙が出てきていた。ゼロの紙さんは、今っぽさ、それ以上に救いも込めて、ご自身の作品ではLINEを使ったのではないかと、ふと思った。