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父と息子にみる親バカ考 #創作大賞感想
衒い、という言葉がある。衒いなく、衒いのない、などと使うのだけれど、その意味がいまいち掴めていなかった。
辞書を引くと、衒いとは才能をひけらかすこと、とあった。自慢や軽蔑にも通じるところがあるだろうか。つまり、衒いのないは、才能をひけらかさない、ということだ。
N.O.T.E.さんのエッセイ「キミはボクのすべて」を読んだ。
N.O.T.E.さんのエッセイは、いつも落ち着いている。楽しいことを穏やかに、悲しいことを冷静に。
そんなふうに読み手の心にひたひたと染み込むような言葉は、普段から使っている飾りのない素直な言葉なのだろうと思う。衒いのない、という言葉が浮かんだのは偶然ではないだろう。
大切な存在である息子さんのことを、こんなふうに表現できること、このタイトルの潔さとリンクする内容は、ご本人の心のうちを書き出しているだけでなく、読み手の想像をかきたててくれる。
こと、息子がいる父親ならば、あるいは逆に息子として父親がいるならば、N.O.T.E.さんの視点の普遍的な力強さにも励まされる。我が子可愛いなのだけれど、我が子からの癒しも励ましも、親としてしっかり受け取っている姿こそ読み手には収穫のようなものだ。
感想を書いてみようと思ったけれど、何だかうまく書けない。僕は、こんなに子どものことを見ていただろうかと不安になる。子が好きなことをしている、ただそれだけで嬉しい、そんなふうに純粋に子どものことを肯定できる親なのだろうかと。
N.O.T.E.さんの気づきに、多くの親は共感するだろう。
僕が親バカなのは、結局、彼のためというより自分のためだったんだな。
子どもの喜ぶ顔が見たい、幸せな時間を共有したい、それは子どものためではなく自分のためだった。
僕は、父親としてどんなふうに振る舞っていればいいのか分からない。分からないから、これまでの経験だとか、本で読んだことだとか、妻と話し合ったことだとかをもとに、子どもたちに接する。
思い通りにいかないことのほうが多いし、子どもの思いが分かっていないままに言葉を荒らげてしまうこともある。あぁ、まただ…と思ってしまうことは、弱くて父親らしくないのだろうかと不安になることがある。
N.O.T.E.さんのように、自分の思いを否定せずに言葉にしたい。誰に恥ずかしがることでもない、衒いない言葉は書き手の声も再現できるかもしれない。
子どもは、家族は、いま笑っているだろうか。
やっぱり僕も書きたいなぁと思わせられるエッセイ、N.O.T.E.さんの才能が隠されている。
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